ほぼ足りてまだ欲 その先

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習い性

f:id:nsw2072:20200424184659j:plain:w360:left 「この国の人々はなぜ深く疑うということをしないのか」と評論家の佐高信がいっている。
 そもそも学校で「批判的にものを考える」ということを訓練していないのだから、当然疑わなくて当たり前だというしかない。ではなぜそのように教育をしないのか。古くは富国強兵をすすめる上では国民を素直に何ごとも受け入れる訓練をする必要があったということだろう。何しろそれまでそれぞれのテリトリー、つまり藩に分かれて暮らし、鎖国をしてきたのも、結果的にそれを育ててきたわけだ。戦後になっても、それがそのままになっていたのは、やはり天皇制が存続された、ということが大きく寄与しているというしかないのではと思う。つまり、この国の国民が「疑う」という視点を個々に持ち得ないのは、富国強兵のおかげだということだ。戦後大きくこの国の体制に変化が訪れていたら、変わっていたのかも知れない。
 だから、今でも、学校教育の場において、「批判的にものを見、考える」ということをしてこなかった。大学教育に於いてすら、私たちは、板書と講義だった。時間いっぱいに終わって、そこで手を上げて質問をするという習慣になかった。二度目に通った学校では、そこが違っていた。教師の何人もが、疑問を持ったら、あとまで待たず、その場で手を上げて質問せよ、と学生に要求した。そして常に、「というわけだけれど、それではなぜ、こう判断できるのか」と問いかけてくる。油断して聞いているわけには行かない。だから、常に、神経をはって聴いている必要がある。修士の時の人数の少ないゼミではそういう場だった。
 若い学生にあとで聞いたのだけれど、通常の授業で、私が授業の終わり近いところで、手を上げて質問をしたら、あぁ、もう授業は終わりだと思っていたといっていた。彼等の解釈は質問は質問する学生の問題であって、自分には関係がないという解釈だということだ。私は、私が疑問に思うことは他の学生も興味を持つはずだと傲慢に考えていた。だから逆に、授業が終わってから、教師に近づいていって一対一で質問をする学生をずるい奴だと思っていた。気がついた疑問を独り占めするのかと。
 ところが大人が集まる場に於いても、それが続いていることに気がついた。なんにんかの人がレクチャーが終わると、レクチャラーの元に行って、一対一で質問をしている。そしてほとんどの人は疑問を持たずに帰り、レクチャラーは時間いっぱい喋るものだと思っている。
 そんな細かいことがといわれるかも知れない。しかし、積み重ねは習慣を作る。そして、疑問を持つということは相手に対して失礼なことなんだとまで習慣づけられている。
 国会で野党議員が、過去の安倍晋三の発言について、質問をしたときに、安倍晋三が「それではあなたは私が嘘をついたというのか」と発言したことがある。これ謎は典型的な展開であって、自分の発言に疑問を挟まれたことに対して本来は「こうだからこうご説明をした」と説明すれば良い。しかし、彼はそう解釈したし、安倍晋三シンパの人たちは「怒るのも無理はない」と思ったことだろう。しかし、当然のことなのだ。疑問は常に、その場で晴らさなくてはならない。そして、国会はそういう場だ。
 この場に何度も書いているけれど、ディベートという、いわば模擬討論というか、今の言葉で言えば、RPGとでもいうべき討論をアメリカの学校では日常茶飯事に行われると聞いている。何人かのグループを構成して、ひとつのテーマについて「賛成」と「反対」に別れて相手を批判し、説得する議論を交互にする。作戦時間を設けて、どんな論理ですすめるかグループで協議をする。もうそこから訓練が始まっている。
 かつて、職場で就業時間後に開かれる英語レッスンに参加していたことがある。インストラクターがネイティブで、ある日、ディベートをやってみよう、ということになった。するとそこに参加していた50歳くらいのおじさんが「反対」の立場からの論陣をはる番になったら、「反対だから、反対だ!」といい放って、ディベートにならなかった。
 菅官房長官東京新聞の望月記者から質問をされて、即座にむげなく「それには当たりません(おしまい)」と答えるのを見ていて、あのおじさんを思い出す。
 この期に及んでも、選挙にも行かず、それでいて、「これは大変だ!」といっているだけなのを見ていると、歴史の重みは大変に大きいんだと思い知る。