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河本大作の孫

  • NHK総合 目撃!にっぽん「“大悪人”の孫と呼ばれて~張作霖爆殺事件 92年目の思索~」昭和史に残る重大事件の一つ、昭和3年満州で起きた張作霖爆殺事件。首謀者・河本大作の孫となる女性が、事件に向き合おうと思索を続けている。河本家の人々が代々背負ってきた知られざる葛藤。「大悪人」とも言われた祖父に対する複雑な思い。そして、新資料や関係者の聞き取りから見えてきた祖父の実像とは?事件から92年、歴史とどう向き合っていけばよいのか、女性の思索の日々を見つめる。

“もし自分があの時代に生きていたら、どう行動できたのだろうかー”
取材を行う中で、一貫して持ち続けた視点です。戦争の歴史を振り返る際、少しでも多角的に見つめたいと考えました。
今回、取材した関東軍高級参謀・河本大作大佐のお孫さんは、”歴史上の大悪人”とされている祖父の足跡をちゃんと知りたいと、あらゆる文献や史料を紐解き、歴史と真摯に向き合っていました。思想が先にあるのではなく、自分事として歴史と向き合おうとしている姿勢に強く惹かれました。
“戦争の歴史”について語ることは、時に、意見を異にする人から強い批判を浴びることがあります。自分は、ついつい傍観者となり、煩わしいものと距離を置いてこなかっただろうか…。意見を異にする人と向き合い、対話することができてきただろうか…。自らを問い直される取材でした。
さらに強く考えさせられたのは、そのお孫さんにとっては、祖父の存在が“人生の重荷”にもなっていたことです。祖父を否定され続けた結果、自分がその孫であることを周りに隠し、罪の意識を背負って生きてきたと言います。その事実を知らされた時、“十字架を背負わせたのは、一体、誰なのか?”と、胸を締め付けられました。そしてその“十字架”に、我々はしっかりと目を向けてきたのかとも考えさせられました。
祖父の足跡をまとめた本の出版後も、お孫さんは、読者や専門家との対話を重ね続けています。その真摯な姿勢にただ頭が下がり、見習わなければいけないと、自らを振り返る機会となりました。
歴史と向き合い続ける意味とは何なのか。メディアにいる人間として、今後どのように戦争をテーマとした番組を制作していけるのか、考え続けていきたいと思います。そして、戦後75年経過しても、いまだ光が当たらず世に出ていない当時の資料などの発掘にも取り組んでいければと思います。
ディレクター 近松伴也

 どうやら今年の3月に放送された番組の再放送のようで、「孫」として登場するのは桑田富三子さんという方で、ものによっては「富美子」ともされています。張作霖爆殺事件の首謀者として歴史にその名を刻まれている河本大作の孫。大連の生まれで、祖父河本大作はともに暮らしていたという。1956年に都立戸山高校を卒業して聖心女子大に進学したらしい。聖心女子学院高専ができたのが1916年で、大学になったのは戦後1948年である。河本大作の娘、つまり桑田冨三子の叔母は修道女となったそうだけれど、その衣装を見るに、彼女も聖心会(Societas Sacratissimi Cordis Jesu)というカトリック女子修道会に属していたことが推察される。桑田冨三子は第8代の聖心女子大同窓会長を務めていたようだ。聖心女子大といえば上皇后美智子さんの母校でございますなぁ。聖心女子大を卒業後はルフトハンザに勤務していたようで、それでドイツ語の絵本の翻訳をした実績があることに納得をした。
 桑田冨三子が出版した著作は2019年12月に文藝春秋企画出版から自費出版されたもので、番組の中でも筒井清忠から感想を寄せて貰っていた。筒井清忠は1948年生まれの社会学者だが、昭和の歴史関連著書が多い。桑田冨三子はその後も研究に熱心だとして、彼女が朝日カルチャーセンター新宿教室で昭和の歴史を聴講する場面が登場するが講師は誰だったのだろう。随分見慣れた会場が映って懐かしかった。
 バリバリの軍人、それも歴史に大きく名の残るいわば節目となる事件に関与した軍人の孫が苦悩する姿を描いた番組としては大変ユニークだけれど、これが男の孫だったらどうしただろうと思わずにはいられなかった。
 河本大作は1930年7月には陸軍を追われた。その時点で多くの関東軍将校から慰め、励ましたの手紙が寄せられていたことが実家に残された資料からわかるが、それほど関東軍は彼ひとりに全てを負わせたことを匂わせる。河本はその後満鉄に奉職。その後山東省で民間企業に誘われ、戦後共産党に捉えられ、1953年に獄死する。共産党が取り調べた記録が残っており、その記録を彼女は早稲田大社会科学総合学術院の劉 傑(LIU Jie)教授に読み砕いて貰いに行く場面がある。そこで河本が「侵略した」と発言していることを聞かされる。当時、共産党に捉えられた多くの元日本兵自己批判をさせられ多くの暴虐行為を認めてきている。また、それを多くの日本の歴史修正主義者は「洗脳」されたと批判をしている。こういう点は慣れていないと、その理論でむちゃくちゃにされてしまう。
 もちろん河本大作も、家庭にあっては優しい優しいおじいちゃんだっただろう。だから、孫としては、世間でいわれる評価と身内で語られる記憶とのその落差に振り回される。東條英機の孫娘がひと頃良くテレビに登場しては、その家庭像を蕩々と述べていたのを思い出す。
 ちなみに張作霖の息子張学良と昭和天皇裕仁はともに1901年の生まれ。昭和天皇が他界した翌年、張学良は90歳の祝いをタイペイの圓山大飯店で、催す。圓山大飯店は宋美齢ゆかりのホテル。