ほぼ足りてまだ欲 その先

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噺家

 偶然、YouTubeで出逢ったんだけれど、志ん朝の弟子に、右朝というのがいた。名前だけは聞いたことがあるし、早死にしたというのも聞いたことがある。だけれど、噺を聞いた覚えは全くない。なんでなんだろう。志ん朝の弟子には志ん伍、志ん輔がいたのは知っているし、彼等が二つ目の頃から知っていた。志ん輔は二つ目の頃、朝太といっていて、何回か、彼の会に足を向けたこともある。志ん伍はがらっぱちな噺家だったが、久しぶりに友達の町会の落語会に出た時に、良くなったなぁと思っていたのに、そのすぐ後に61歳で他界してしまった。あそこら辺から良くなってきただろうにと、残念だ。
 志ん輔は二つ目の頃からもういやはやミニ志ん朝で、何しろ好きで弟子入りしたのに決まっているから、師匠に似てくるのは当然なんだけれど、あまりに似てくるので、途中で嫌になったことがある。近頃の志ん輔はさすがに60半ばとなって、落ち着いてきた。
 で、右朝なんだけれど、彼は日芸落研で、彼が会長、高田文夫が副会長だったという。ということは私と同世代。しかし、大学を卒業してしばらく経ってからの弟子入りで、その間何があったのか知らない。私は1971年に学校を卒業してから地方の工場にいっていたし、東京に帰ってきてからも、ほとんど寄席に足を運ぶような生活をしていなかった。だから、全く聞いたことがなかったから、YouTubeが生まれて初めての彼の噺だった。彼が死んだのは、師匠の志ん朝が死ぬわずか四ヶ月前だという。その時志ん朝が大層ガックリ来ていたそうだ。そういえば、そんな噂話を聞いたことがあるような気がしてきた。彼が死んだのは2001年4月29日。なんと52歳だった。もっとも先代の三木助は死んだ時、43歳。なぜか自死