ほぼ足りてまだ欲 その先

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勉強?

 家で勉強というものをしたのは中学三年生くらいからのことだったでしょうかねぇ。そういえば小学校の時も宿題が出ていたことは覚えていますが、どんなことをしたのかというのはほとんど覚えていませんね。夏休みの宿題だけは毎年泣きました。宿題を忘れてきたからというので、教室の床に直に座らされたことは克明に覚えています。折角隣に当時クラスのアイドルだった子が座っていたというのにね。
 そういえば小学生の時は席順をどうやって決めていたんでしょうねぇ。高校三年生の時のクラスでは、クラスの自治で毎月席順が変わりました。くじ引きです。男子生徒の中では、日頃から偉そうなことを吹聴するのでみんなが嫌がっていた女子がいて、各自から10円を学帽で集め、その女子の隣になった男子にこれを恵む、という秘密行事が行われておりました。あのクラスで一番だった男は、確かどこかの国立大学に進学し、出版社に就職したと聞きました。彼は家で勉強をしたことがないと豪語しておりました。学校の授業をきっちり聞いて、その場で身につけていたというのです。イヤそれが本当かどうかわかりませんけれど(往々にして「なにもやらない」を売り物にする風潮がありましたから)、そうだとしたら、そりゃ実に効率が良いわけです。塾へいく費用もかかりませんし。とはいえ、私たちの時代には高校生がいく塾なんて聞いた覚えがありません。駿台、研数、代ゼミ、早稲田ゼミ、といった予備校が休み期間に「直前講座」なんという集中塾みたいなものを売っていました。そういえばどこかのそんな集中講義に行ったことがある。

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 私はもっぱら旺文社の大学受験講座でした。通信添削もやったことがあるけれど、真面目に送ったのは最初の数ヶ月だったんじゃないでしょうか。参考書と言われるものを読んでは問題を解く、という程度のことを繰り返しやるだけでしたねぇ。それでも、(今でもそうですが)集中力があるわけじゃないというか、とにかく飽きっぽいので、どれも完遂できなかったような気がします。やり方がわからなかった、といっても良いかもしれませんね。
 今から考えると、学校で教わっていたのは、それをマスターすれば「受験に有利だ」というものだったということもいえるんじゃないでしょうか。ま、単なる逆説でしかないかも知れませんけれど。植木算やら、鶴亀算なんてものを小学校でやりましたが、あんなものは中学に行って二次方程式を教わってしまえば、二度と使わなくなりますし、普通の生活では、ほぼ使わない。技術畑に進んで、製造、建築、土木界隈で、強度計算やら、構造計算なんかの専門家になればともかく、事務屋で銀行のクラークだったり、営業職だったりしたら、ほぼ要らない。だから、小学校から七面倒くさい入学試験を受けて、エリートといわれる進学中高に進むのでなかったら、小学校でなんの勉強もしなくたって、公立中学に進んで困ることもそれほどないような気がしないでもありません。中高一貫校へ進学する目的は何かといったら、東大を頂点とする日本の入試難関大学に進学するためであり、そのために小学校から日能研だ、伸芽塾だ、大塚だって東奔西走するわけですよねぇ。
 そうそう、そういえば、いつだったか大学の二年先輩の女性二人と話していたら、「この人は息子を東大に入れた人なのよ!」ともうひとりの人を評していたのが忘れられないのですが、それくらい大変なことのようです。集中力がついて、なにをするにも途中で放り出すことをしない胆力がつくのかも知れないですねぇ。そうすれば、少々のことではめげないかも知れませんねぇ。私なんかと違って。

 なんで人生は一度しかないのでしょうねぇ。二度目があったら、いよいよ、今度こそ、猛烈に自分で勉強したことでしょうね。問題集を片っ端からかたづけて。でもそれでも、きっと、人生は同じだったような気がするなぁ。これ、映画のシナリオにならないかなぁ。あ、だからこっから先を書くのはやめとこう。