ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

三十年

 三十年ほど昔、上司と二人で北京、上海、青島とぐるっと出張したことがある。北京に赴任していた三年後輩の中国語の達人についてきて貰った。彼がいうには(今になれば常識だけれど)北京の言葉と上海の言葉はかなり異なるので、なかなかこの出張はキツかったようだった。上海である造船所にいった。その造船所が傘下に持っている設計事務所が主たる訪問先だったけれど、とにかく現場を見たかった。
 最初に驚いたのは、渡されたヘルメットが籐で編んだものだったことだ。考えてみれば、落ちてくるものから頭を守るんだったら、プラスティックのヘルメットはそれほど役に立ちそうにも思えないが、頭を頭上のものにぶつけないためと考えれば、籐で編んであるものでも充分な気がする。とても珍しかったので、お土産に持って帰りたかったくらいだった。持って帰ったらみんなに相当に受けたろうに。
 当時の中国は鉄鋼生産できておらず、五金公司が窓口になって輸入をしていた。とにかく造船用の厚板だって輸入。造船所の鋼材置き場に差し掛かって驚いた。様々な板厚の鉄板がガンガンと乱雑に積み重ねてあって、そのほとんどが酸化してガサガサにまでなっていたのだ。つまり使い切らなくて無駄にした板がそれだけあったということだ。
 昼飯時が近くなると、あちこちの職場から、まだ昼休みのサイレンが鳴る前なのに、三々五々作業員が手に手に琺瑯引きの小ぶりな洗面器を持って食堂へ歩いて行くのだった。それでも岸壁には8万トンくらいのオイル・タンカーが艤装中だった。一体どれくらいの時間をかけて建造していたのだろうかという程度だった。
 街中を北京から来て貰った中国語の達人と歩いていると、人だかりがあって、何をしているんだろうと、彼と首を突っ込むと、真ん中にあったのは蛙を何匹も放り込んだ、籠のようなものだった。噂に聞いていた食用になるカエルを街頭で売っているんだ。カメラを持った日本人に気がついたカエル売りが何かを大声で言ったと同時に、中国語の達人が「知らん顔して早く離れましょう!カメラを出せといってますよ!」という。苦笑いを顔に浮かべながら「何いってんかわかんねぇや」といいながら逃げた。向こうにも何いってんかわかんなかっただろう。どうも当時はそうやって自由に街頭で売ってはいけなかったのではなかったか。
 今から考えると嘘のような話で、日本の造船業は今や、遙かに発達した中国の造船業界に席巻されて、青息吐息である。上海の川の向こうはテレビ塔が建って、ガンガンビルが建って、キラキラ光っており、何いってやがんだ、べらぼうめ状態である。
 たった三十年だ。あっという間だ。あっという間に、この国は相対的に沈み込んでいく。