ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

氷雨

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 天気予報が良く当たる。朝から裏寒そうな、空模様で、ペタペタと冷たい雨が降る。起きると、喉が痛い。節々も痛いような気がする。10時から集合住宅の会合があるのだけれど、誰かにうつしてしまっては申し訳がないから、欠席をする。牛乳にオリゴ糖を垂らし、濃いめの紅茶を入れて呑む。のど飴をなめる。天とじ饂飩を作って食べる。かき玉にしようとしたのだけれど、片栗に熱いおつゆを入れたらダマになった。そういったらうちのシェフから「そうよ、知らなかったの!」と驚かれた。そうすれば時間を短縮できるかと思ったのだ。ということは小学校の給食の餡かけにダマがあったのはそういうことだったのか、とこの歳になって気がつく。
 パブロンを飲む。眠くなるかと思ったがならない。テレビをつけると、箱根駅伝の予選会を中継している。数年前から力を入れているという母校のチームは結局いつもの年の順位あたりから全く変わらない。14名のメンバーのうち8名は一年生だというので、強くなるのだとしたら、3年後と云うことになるのだろう。筑波大が8秒足りずに涙を呑んだ。この予選会は毎回こんな悲劇を生む。そして、日本テレビはこれをまたドキュメンタリーにして視聴率を稼ぐ。
 知らない名前の大学がいくつかでている。駿河台大学育英大学あたりは聞いたことがない。駿河台大学は1987年に飯能にできた大学で、1918年に開設された「東京高等受験講習会」がその始まりだとしてあり、1952年に「学校法人駿河台学園」となる。つまりあの駿台予備校である。その学校法人が経営する大学。予備校のくせに入試をやっていたあの予備校だ。
 育英大学というのは前橋育英高校の群馬育英学園(当初は準学校法人大利根学園)が2018年に設立した大学。2024年の箱根駅伝出場を目指す。良くあるスポーツで宣伝して学生を集めんとする大学。そういう大学が数ある中で、成功するのはなかなか難しいだろう。それでも山梨学院大を始め、この手法を使う大学は少なくない。こうなると、スポーツのために大学を運営するのか、本末転倒になりかねない。少子化末子倉の世の中で、なぜこんな時期に大学を造るのだろうか。その動機はなんだろうか。
 日本だけではないが、カナダ、アメリカもスポーツで大学の名を知らしめて学生を集めるという路線の最たるものである。しかし、欧州ではこの種の話を聞かないというか、私だけが知らないのかも知れない。米国で顕著なのはバスケットボールと、フットボールだろう。バスケットボールは選手の絶対数が少ないから、それほどでもないが、選手の数が多いフットボールに至ってはもうむちゃくちゃといっても良い。年間のチーム運営予算を聞いただけでも驚いてしまう。その結果、登録年数を超えてしまって、プロにもいけない、そうかと云って成績もどうにもならない学生がドロップ・アウトして中退していく問題はいつまで経っても解決しない。要するに大学の名を知らしめるために使い捨てになるということだ。
 翻って自分の大学時代のことを思い出してみると、実に勿体ない時間を費やしてしまったのが大変悔やまれる。在学中になんで勉強しなかったんだろうか、と云うような反省なんてのは良くある話だけれど、そもそも大学を選ぶ、学部を選ぶところからして、もう既に公開しているのだ。そもそも本当に大学へ行きたかったのか、という話だ。今から考えるとそれすら怪しい。大学を出ないと、どこかの会社へ奉公に行ったとしても、入れてもらえないんじゃないか、と云うことだ。だから、とりあえずどこの学部でも良いから大学へ行く、ただそれだけだった。偏差値から見て受かりそうなところがどこかで受験しただけだった。それは高校受験の延長線でしかない。高校は別段特殊な高校へ行くつもりはなかったからそれで良いんだが、大学も偏差値で適合するところを受けたに過ぎない。だから、あっちの学校では法学部を受け、こっちの大学では経済学部を受けた。動機が全然ないのだから。しかし、あの頃に、本当に目覚めていて、自分が勉強したい、そういう意欲がある分野を求めて大学にいっていたら、今の人生とは全く異なる人生になっていたはずであり、それは全く想像すらつかない。
 長ずるに及んで贅沢にもその時に興味を持っていた学部で勉強ができたのは、なによりも恵まれていた。あの数年がなかったら、これまたどうなっていたのか、見当もつかない。