ほぼ足りてまだ欲 その先

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NHK BS1スペシャル

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「消えた祖父の謎を追う〜“アメリカの敵”となった日本移民〜」
アメリカ人の写真家が、真珠湾攻撃の当日に米政府に拘束され、姿を消した日本人の祖父の行方を追う調査に乗り出した。戦争に翻弄された日本移民の知られざる実態に迫る。

アメリカの写真家レジーナ・ブーンさん。祖父は日本人だったが、真珠湾攻撃の当日に米政府に拘束され、その行方は謎に包まれたままになっていた。レジーナさんは、5年前から調査を続け、国の公文書館で祖父についての内部文書を数多く発見。祖父が「アメリカの敵」と見なされ、終戦後も監視されて縁もゆかりもない土地で死亡していたことがわかった。戦争に翻弄された日本移民の足取りを明らかにするレジーナさんの旅を追う。

 昨年放送された番組の再放送。
 ヴァージニア州Suffolkの街に暮らしていた日本人の祖父の足跡を、長男の娘である写真家が辿る。
 長崎・南島原出身、16歳で外航船のコックとして乗り組み、どこをどうしてたどり着いたのか、Suffolkで食堂を経営していた宮崎鶴寿は黒人女性と結婚。二人の男の子をもうけたが、日米開戦と同時に、FBIによって捉えられ、アーカンソー日系人収容所に強制収容される。妻は子ども二人を抱えて親戚を頼っていく。宮崎はその後、シカゴにresettlementされた。当時東部各地に収容所から出て移り住んだ人たちがいるが、なぜなのかと思っていたが、東部各地でも労働力が不足してきていたからだという。その代わり、集住してはならない、日本人街を構築してはならないと、いくつもの制限が課せられていたという。アイヴァ・戸栗の父もシカゴに移って店をやっていたことを思い出す。だから、全米各地の日本人街は中国人街に比べて、散漫になってしまっているのかも知れない。宮崎は終戦までシカゴで料理人として働いていたが、最後は肺結核に罹り、シカゴで1946年8月に亡くなっていた。宮崎の長男Raymond H. BooneはRichmond Free Pressという新聞社を創設し、黒人社会の地位向上に多くの力を注ぎ、社屋前の通りには彼の名前が掲げられているという。

 戦時中の日本人・日系人社会の一端が垣間見える番組になっている。驚くのは米国の国立公文書館には「Tsuruju Miyazaki」のファイルがきちんと残されているという点である。残念ながらわが国では、考えられないことだ。今現在の公文書すら、作成されないこともあり、すぐさま廃棄されてしまい、恐るべきことにその改竄まで平気で権力が犯すという事態である。私たちは今「歴史を残す」ことすらできずにいる。