ほぼ足りてまだ欲 その先

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雪の大晦日

f:id:nsw2072:20210111011124j:plain:w360:left 2004年の大晦日は雪だった。友人と組んでいたベンチャーズ・バンドでその雪の大晦日に玉川瀬田のお寺で演奏をするという約束になっていた。ギターを担当している二人のうちのひとりが住宅産業に従事しているそうで、その仕事の客先にどうも当たるのか、大晦日のお寺で演奏するなんてことになった。なにしろ東急の電車を降りたらもう雪になっていて、会場のお寺に行くまでの道に足跡なんてろくにないような状態。その上大晦日なんだから、ほとんど人は通っていない。なんでこんなところでベンチャーズを演奏しなくちゃならないのか、良くわからない。楽器は松戸の先輩の家からその先輩のバンドの機材をお借りして、私は電子ドラムを叩いた。慣れない電子ドラムは気持ちの悪いものだ。
 どんどん雪は降ってくるわけで、参詣者のために雪かきまでした。セッティングしてから本番までの時間の、まぁ長いこと。それでもなぜか、某大学の卓球部の人たちと一緒にストーブを焚いた部屋で待つ。なんでそんな卓球の人がいるのかと思ったら、どうもご住職がお手伝いをしているらしい。

 で、ビックリしたのは、そのお寺に江利チエミのお墓があったことだ。そんなに時間が経っているとは思えない墓石で、テネシー・ワルツが彫ってある。確かに江利チエミは「テネシー・ワルツ」で世に出たわけで、ちょっと小節がくるっとするテネシーワルツは今でも耳に残っている。しかし、どうしてそのお寺に江利チエミの墓があったんだろうか。
 BSで「淡谷のり子笠置シズ子江利チエミ」の二時間番組があった。それでわかったのは、高倉健江利チエミのあの燃えてしまった家はこのお寺の傍にあり、彼女のお父さんのお墓もその寺にあって、そういう縁だったという。どうやら高倉健は死ぬまでその地に暮らしていたらしい。江利チエミはなんで高倉健と離婚したのか、という点と、どうしてそんなに早く死んでしまったのか(1982年、45歳)、という点には疑問を持っていたけれど、どうやらネットをぐるぐるすると、全ての点でかかわってくるのは、江利チエミの母親が最初に結婚した旦那とのあいだに生まれた異父姉だという女性の存在だったらしい。その血縁が本当かどうかはどうやら定かではないらしいけれど、この女性が貴金属類から、銀行預金から持ち出した挙げ句に街金から多額の借金をしていたというのだ。まるで小説のような話だけれど、まさに林真理子はこれを小説にして、関係者の顰蹙を買ったらしい。私はこの辺のことに興味がなかったから、当時はなんにも知らなかった。その異父姉は懲役三年の判決を受け服役したそうだ。そういえば、かつての高倉健のヤクザ映画は、彼が殴り込んで捕まり、「それから三年」と書かれて、出所するところから始まるのが常だった。学生時代に何本か見たことがある。