ほぼ足りてまだ欲 その先

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天金

 もうこれまでに何度も書いたことがあるんだけれど、かつて銀座の6丁目に、天金という天麩羅屋があった。何度か入ったことがあって、ここで天麩羅茶漬けを食べるのがとっても楽しみだった時期がある。多分まだ学生だった頃ではないかという気がする。多分出汁がかけてあって、お茶じゃなかったんじゃないかという気がするけれど、なんで普通の天丼ではなくて、天麩羅茶漬けを好んで食べたんだろう。ひょっとするとこの方が安かったのかも知れない。運ばれてきた丼の蓋を取ると、その蓋にワサビがついていて、このワサビを溶いて食べた。なぜか、いつ行っても空いていたお店だった記憶があるんだけれど、最初はなんでこの店に入ったのか、それがわからない。
 この天金が池田弥三郎の実家だった。いつだかどこかで読んだら、いやいや、あれは彼の実家ではなくて、オジサンがやっていたんだと書いてあった記憶があって、なんだ違うのか、と思ったものなんだけれど、先日神保町で見つけた「わが町 銀座」(1978年 サンケイ出版)によれば「池田弥三郎は池田金太郎の息子」と書いてある。そこにもあるんだけれど、店はなんだか黒い木造二階建てだった記憶である。あれ以来、天麩羅の茶漬けを食ったことがない。もういまではどこも出さないのかも知れない。
 ところで天金はいつなくなったんだろうか。ウィッキペディアには1970年に閉店したと書いてあるから、これが事実なら、私は最後の頃の客だったことになる。
 池田弥三郎と云えば、NHKテレビの「私だけが知っている」に、有吉佐和子江川宇礼雄と共にレギュラー解答者の一画だった。クラリネット奏者の北村和夫慶應義塾での恩師で、戦後の占領期に米軍のベースでクラリネットを吹くと、月に8万円になる、どうしたらよいかと相談をしたら「そりゃ行くべきだ」と即断したと、北村がラジオで語っているのを聞いたことがある。1982年に62歳で他界している。早死にだ。