ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

隣の区の図書館

 相変わらず自分の区の図書館に所蔵されていない本を隣の区の図書館まで出かけていっては借りだしてくるのですが、昨日はとうとう西の隣の区の図書館に行って、「予約があります!」といったら「え〜ッと、こちらからはお知らせした予約はありませんけれどねぇ」といわれてしまいました。やや!ってんで自分のスマートフォンに入っているメールをチェックしたら、そうです!あなた正解です!私が予約したのは北隣の区の図書館でした。恥をかきました。

 というわけで本日行って参りました。私が借り出したのは生まれ故郷横浜を取り上げた写真集二点です。ひとつは神奈川新聞が出版した周年記念のもので、これをなんで東京の区立図書館が所蔵しているんだろうというような代物ですが、ひろげてビックリ。これまで誰もこの写真集を開けた形跡がありません。そりゃそうでしょう。私にとっては頁をめくる度に、お〜ッ!と声を上げるくらいです。なんとなく記憶の中にあったものがこうして新聞社の記録写真で確認することが出来ます。
f:id:nsw2072:20210404191428j:plain:w360:leftひとつは伊勢佐木町不二家のビルが米軍に接収されて将校のクラブになっていた、その証拠写真です。不二家の前に「野澤屋」というデパートがあって、ここのソフトクリームを食べるのが楽しみだった幼少のみぎりの私は、不二家を見上げては悠々と足を組んで新聞をひろげている米軍将校を怖ろしいものを見るように見上げていたのです。不二家のビルの並びには有隣堂のビルがあって、ここの上の階に画材売り場がありました。なんでそんなことを知っているのかと申しますと、かつてうちの親父がここから油絵の道具を買ってきたことを覚えているのです。それにしても、彼が絵心を持っていたというのは驚きでございます。とてもそんな風には見えない人だったからです。その後彼が絵を描いているところを見たことなぞ一度も無いのですが、画材売り場に行って買い求めたことだけは印象的だったのです。ですから私はテレビン油の匂いだけは覚えております。

f:id:nsw2072:20210404192516j:plain:w360:right いまひとつは、間門海岸の存在です。今ではすっかり埋め立てられてしまい、若い人たちには想像もつかないでしょうけれど、この海岸で1955-6年ごろの夏休みに、私は毎日お弁当を持って臨海学校といって出かけていったのです。たった10mですが、私が初めて泳いだ海岸です。「臨海学校」「林間学校」という言葉も今ではほとんど使われなくなりましたねぇ。