机の上の四つほど存在する積ん読の山の一つの上から数冊目に、「話の特集」の1980年3月号というのを見つけた。表紙は和田誠が描くところの植草甚一で、双方共にこの雑誌とは少なからざる縁なんだから別に不思議にも何にも思わない。もちろん今の若い方たちにはご存知がないだろうが、植草甚一は何だかわからないが気になる存在なのだった。その植草甚一が前年、1979年12月2日に71歳で逝去したので、この号は彼の追悼号になっている。ま、晶文社と「話の特集」は彼とは浅からぬ縁だ、と私は了解している。この雑誌に限らないけれど、なぜか雑誌というのは前月に翌月号を出す。だから、この1980年3月号は2月27日に発売されたはずだ(「話の特集」は毎月27日発売と書いてある。)。私は前年1979年12月初めに日本を発って1980年2月下旬に日本に帰ってきている。不思議な縁だ。
で、話の特集が創刊号を出したのが1966年の2月号だと書いてある。それは矢崎泰久が勤めていた日本社が出していた「実話読物」が改名した名前をそのまま流用したんだという。そりゃ不思議な話だ。
しかし、植草甚一が71歳で他界したんだというのは今更ながらだけれど、ショッキングな話だ。私はもうとっくにその年を通り過ぎているからだ。淀川長治が葬儀委員長だったそうで、植草甚一が東宝に入った頃からのつきあいだったそうだ。こういうことはこんなにあとになってからの方が、じっくりと自分に返ってくるのはなんでなんだろうか。