ほぼ足りてまだ欲 その先

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武藤敏郎

 オリンピック組織委員会事務総長である。なんとも木で鼻を括ったような対応の男だけれど、それはそのはずで、彼は元は大蔵官僚である。1966年入省。

大蔵・財務事務次官、2003年日本銀行副総裁。2008年日銀総裁候補となるも、3月12日、参議院は民主、共産、社民、国民新などの反対多数により武藤は副総裁候補の伊藤隆敏とともに不同意となる。2008年6月東京大学先端科学技術研究センター客員教授。2008年7月大和総研理事長、言論NPOアドバイザーリポート、2009年から2015年まで学校法人開成学園理事長。
双恵学園、開成高→東京大。国家公務員上級職甲種試験(法律職)と司法試験に合格し、1966年に東京大法1類(私法コース)を卒業
(ウィッキペディア)

1998年1月19日衆院予算委 「国民の声」の石井一(ダッカ・ハイジャック事件の身代わり人質になった、あの石井一である)が質問に立った。時の首相は橋本龍太郎。大蔵大臣は三塚博。石井一が取り上げたのは大蔵官僚に対する各大手金融機関のMOF担(Ministry of Finance大蔵省担当)による大接待疑惑である。どうもピンとこないんだけれど(私は日本にいなかったから)、それでも「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」というなんともお恥ずかしい名称が跋扈した、あの大接待事件だ。
 爆弾男といっても良い、石井一が取り上げたのは前年年末から新聞紙面を賑わしていた大蔵官僚収賄疑惑で、当日の朝刊には日本道路公団経理担当理事(元大蔵省の局長)井坂武彦の逮捕が報じられた。ここから逮捕者は連続し、1月26日に大蔵省検査官2名逮捕。3月5日に大蔵官僚二名逮捕。3月11日日本銀行証券課長逮捕。結局逮捕者6名、自殺者3名、大蔵省は112名の処分という大規模な収賄、遊び回っていた事件となった。なにしろ先日菅義偉政権のアドヴァイザーだかなんだかを辞めざるをえなくなったブルガリ腕時計・高橋洋一が昨年振り返って言うには向島で銀行と大蔵官僚は遊び回っていたし、新宿の中国人女性が経営する楼蘭という店でそのいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」だったそうだ。ブルガリ腕時計は「接待を受ける人って、実はできる人なんです。」なんてうそぶいてまでいる。(→こちら

さて、石井一はこの日こう訊ねた。
「大蔵当局は、日興証券の担当者に対して、この問題がどうなっておるのかということを事情聴取しておりますか。」
答弁に立ったのは長野厖士証券局長「証券会社をめぐります法令違反等の事実があるかどうかにつきましては、証券取引等監視委員会におきまして、司法当局と連携をとって常時監視しておるものと考えます。」といいながら、実は接待ずっぽりだったわけで減給処分になり、この年4月に退官した。その後司法試験に合格し、今は弁護士の様だ。彼は実は中山恭子中山成彬武藤敏郎と同期の大蔵省入省組みである。この時、石井一は「そんな答弁なら政府委員は出てこなくて良い!」といい放った。
 石井一はこの年1月元旦の読売新聞が「日本興業銀行に始まって、日本長銀、東京三菱、住友、三和、第一勧銀、富士、さくら、そして野村証券日興証券に至るまで、「主要銀行と証券会社の現・旧幹部が証言する大蔵接待の実態」という記事に触れて三塚大蔵大臣に質問を投げる。
三塚博大蔵大臣の答弁「平成七(1995年)年の五月に綱紀粛正の通達というのを出してあります。なお、一昨年)、八年(1996年)の十二月、さらに通達を倫理規程という形に変えまして、外部の皆さんとの接触、会食についての禁止等について厳しく厳命いたしたところであります。一昨年十二月倫理規程発出後は、その後の報告は、さようなことは全くない、こういうことでございます。」まったくない、っていっちゃった。
石井一「あなたは今、調査をされたと言われましたが、読売も読まれたと言われましたけれども、この事実はおおむね事実か、そうでないのか、はっきりさせてください。」
三塚博「ただいまのところ、調査をした結果そういう行き過ぎた事実はありませんでした」「法に触れるようなことはないという報告」
石井一「十数件に関して、事実が、該当があるのかないのか、あるとすればどういう実名か」

 ここでなんと大蔵大臣官房長武藤敏郎君が登場する。
「一昨年の十二月に大蔵省は倫理規程を出しましたが、それ以後におきましては、私どもはない、これは調査した結果ないと思っておりますが、それ以前の行為につきましてはいろいろなことが言われております。重大な疑惑がありますればそれは調べるということで考えていきたいと思っております。」見事に木で鼻を括ってご覧に入れております。しかし、これはものの見事な大嘘で、一週間後には大蔵省金融検査部の宮川宏一金融証券検査官室長、谷内敏美金検部 管理課長補佐の二人が逮捕。二人は武藤敏郎の直属の部下で、そこから大蔵省はようやく調べ出したらしい。嘘つきには筋金が入っている。それにしても当時の検察はきちんと仕事をしている。この辺の流れは菅義偉の息子の接待疑惑と重なる。今の検察はなにもしていない。
その他の逮捕者:榊原隆 証券局 課長補佐、 宮野敏男 証取委 上席検査官、吉沢保幸 日銀 営業局証券課長、松野允彦地銀協副会長-元証券局長、全部で逮捕者は42名にのぼったといわれている。

首相秘書官や主計局次長を歴任した武藤と同期入省の中島義雄はエー・アイ・エーに絡んで1995年にやはり辞職している。この同期入省組みは「花の〜」と呼ばれたそうだけれど、とんでもない「花」だった。
 
news.tbs.co.jp

 わざわざ「最終的な任命責任は我々にあることは間違いありません。ありませんが我々が一人一人を選んだわけではありません」というコメントをつける必然性があるだろうか。どうも、感覚が、ちょっとずつずれている様な気がして、それがどんどん蓄積されたい結果がこうなっているんじゃないか、と。

中島義雄については、「東京協和信用組合の当時の理事長である高橋治則氏から会食、ゴルフ等の供応を受けていた、冬虫夏草ドリンクに関する契約書に署名捺印し、自らの名前を利用することを許していたこと、及び同契約書に関連し、窪田邦夫氏とその共同事業者との間の清算金の受渡しの場として主計局次長室を提供、大蔵省在職中に、知人から極めて多額の贈与等を受けていたこと及びこれに関する税務申告を長期間怠っていたことが判明」と当時、保坂展人衆議院議員の質問書に回答されている。
 この人は麹町小→麹町中→日比谷高→東大法 武藤敏郎のあとの大蔵省主計局次長、退官後は京セラ、船井電機セーラー万年筆、その他。