ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

上野

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散歩のついでに上野の山に登りました、といっても結構あの辺は跋扈しています。
でも、動物園はずっと閉まっているんだと思っていたんです。
なぜかというと弁天門や池之端の門が開いているようには見えないんです。
ところが、上野のパンダにとても詳しい友人の話では、予約のできる整理券を手に入れれば表門からは入れるんだそうです。
ところがこれが簡単じゃない。

整理券の事前予約は毎週土曜日午前9時に「翌週の土曜日からその次の金曜日まで(休園日を除く)」の受付を開始します。

 すぐわかります?
他の都の公園なんかの予約と違って、とにかく土曜日しか予約を取らない。それも、翌週の土曜日から金曜日までの分、だってんです。つまり、18日の土曜日に25日から10月1日の分の整理券予約が受け付けられるんだそうです。入園者数上限が2,000名/日です。他の日には頑として整理券予約受け付けない。なんだか京都の宮内庁管轄公園見学、みたいな権威主義を感じてしまいます。あそこは酷かったよなぁ。あれから10年だ。

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「裸の王様」

 ところで、藝大の前を随分久しぶりに通ったんです。
東京美術学校東京音楽学校も設立は1887年(明治20年)ですねぇ。美術学校は男の学生だけだったそうですけれど、音楽学校は共学だったと、しかも女子の方が多かったといいます。へぇ〜でございます。何だか美術学校の方が幅を利かせていたようでございますねぇ。美術学校の初代校長はと申しますと、ボストン美術館にも名前を残しておりますが、岡倉覚三(天心)でございますよ。音楽学校の初代校長はというと、伊沢修二という方だそうですが、私、全く知りません。
 そういえば、私が浪々の身を水道橋のひなびた予備校に埋没させていた頃、同じ教室のながぁ〜い机に捕まっている仲間の中に、二浪中のお姉さんがおられました。お姉さんといっても、たった一歳上なだけですが、当時、この一年の差には大きくて深い溝があったんです。というのは文部省の教育指導要綱とかいうものがこの間に改訂をされて、随分変わったようなんです。こっちは新しい要項に従った教育を受けていたわけで、ちゃんと勉強していりゃ浪人なんぞしなかったことでしょうが、何の影響もないのですが、一年上の人たちにとっては、えらく大きな違いだったらしいのですよ。
 で、そのお姉さんは、なんと藝大の邦楽を目指しておられたそうで、三味線もちゃんと大学の先生の弟子になって練習しないといけなかったそうです。あの方、その後どうなったんでしょうねぇ。名のある三味線弾きになられたんですかねぇ。

 そうそう、東京芸術大学となったのは戦後、1949年(昭和24年)です。邦楽科ができたのは翌年です。
つまり東京芸術大学は戦後にできたのに、なんで「東京藝術大学」と「げい」の字を旧字で書くんですかね?

 上野駅の公園口は随分変わりましたねぇ。出口が新しくなって、駅前を横切っていた道路は潰されて、分断されちゃいました。昔は近ツリやクラブツーリズムのバスパックがここから出ていましたよねぇ、と思ったら今ではバスは両大師橋の方から上がってくるそうですよ。

f:id:nsw2072:20210914232003j:plain:w360:left 昨日の夜YouTubeで見た「江頭 2:50」がモスバーガーのコーヒーシェイクが旨い、といっていたので、彼が好きだというテリヤキバーガーと一緒に、生まれて初めてモスバーガーに入ってtake awayしました。ふたつで640円もする。これ、当たり前なのかなぁ。日頃安い弁当ばかりに目がいっているので、ちょっとショックでした。味?まぁ、こんなもんじゃないの?