1940年9月日独伊三国軍事同盟締結について枢密院で審議された際、三国同盟参加に反対、外務大臣の松岡洋右を批判。
1941年9月6日の御前会議では、軍部の作成した帝国国策遂行要領を審議し、原嘉道(枢密院議長)は「外交交渉が主であるのか、戦争準備完整が主であるのか、伺いたい」「この要綱案では戦争が主で、外交が従のように見えるが本当は逆ではないのか」と発言。
昭和天皇は、原の発言を受けて、明治天皇の和歌「四方の海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」を詠み「私は故明治大帝の平和愛好の御精神を紹述しようと努めている」と発言した。原は内大臣木戸幸一と通じて岡田啓介、米内光政ら重臣たちと連絡を取り戦争回避に努力した