ほぼ足りてまだ欲 その先

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旧群馬鉄山

日中戦争から、太平洋戦争に至り、1945年8月に連合軍に敗れ去るあいだ、日本本土は310万人に上る日本人戦死者を出し、国土は誠に荒れ果ててしまったことは誰も否定しないだろう。
なんでそんなことになったのか。なんで国家はそこまで国を荒れ果てさせてしまったのか、と考えると、はなはだ理解がしにくい。「拝謁記」や「百武三郎日記」によると、昭和天皇裕仁は「勢いに引っ張られた」と戦後述懐したとNHKの番組「ETV特集昭和天皇が語る 開戦への道」がそう伝える。この番組の最後に英米に対する宣戦布告の勅書に「朕カ志ナラムヤ」という部分に昭和天皇が言及するも、田島道治が「それは日清、日露でも言及されているところである」と諫めるとでもいうような部分が出てくる。戦争はなんでも同じだ。自分に言い訳が立つように、どうしてもいいたくなる。
 例えば、生き残った某軍参謀は戦後「国民が熱狂して戦争を盛り上げた」といわんばかりの発言をしたことも記録されている。
あとになって、いくらでも言い訳が立つという風潮は実に恥ずかしい。
今の自公維+国民政府であっても、のちに必ず言い訳が立つように、言葉を濁し、質問をはぐらかすことに腐心する。
TBSテレビ唯一のフェア番組と言われる土曜日夕方の「報道特集」が群馬県高崎にある「群馬の森」に設置されている「朝鮮人労働者追悼碑」を県が撤去しろとし、それに対して市民グループが起こしている保全の訴えは、一審で認められたものの、高裁での判決が8月にあった。

高橋譲裁判長は「追悼式で『強制連行』という文言を含む政治的発言があり、追悼碑は中立的な性格を失った」とし、処分を違法とした1審前橋地裁判決を取り消し、市民団体側の請求を棄却(産経新聞 2021/8/26 16:53)

日本会議を中心としたいわゆる「歴史修正主義」勢力は日本の植民地だった朝鮮半島から日本本土にやってきた労働者は決して強制的に駆り立てられてきたわけではなく、彼等の大半は好き好んで本土にやってきたということにしたくて、「強制的に連れてきた」という言葉を躍起になって消して歩いている。この高等裁判所の判決当日も、裁判所前にヘイトスピーチ集団がやってきて、「帰れ!」と叫んでいた。「強制連行」されたといったら、それは政治的発言なのだ、という解釈には飛び上がる。今やそれを「労働動員」と置き換える向きすらあるそうだ。
松代の地下壕工事でも多くの朝鮮人労働者が従事した。いやいや、そんなこっちゃなくて、首都圏の多くの生産工場でも、彼等、あるいは捕虜を働かせた実態は限りなくある。強制的に連れてきたという証拠はどこにどれだけあるのか、それを提示できない以上言いがかりは辞めろというのが歴史に相対しない立場なのだろう。
私の友人の父上は朝鮮半島に人を求めて出張し、数人を連れかえったけれど、途中で何人かに逃げられてしまったといっていた。彼は戦時中「労務担当」だったのだそうだ。
川崎の製鉄所の周りには、今でも朝鮮半島出身者の末裔が集住する地域となっている。
群馬の森の追悼碑を建立した市民グループの流れをくむグループは群馬県各地でどれほどの朝鮮半島出身者が労働に従事したのかについて資料を作成しているらしいが、その冒頭に書かれていたのは、当時の六合村にあった「群馬鉄山、460人」だった。1980年代にわが家がよくキャンプを張った山のことだ。
 追悼碑の撤去を要求している群馬県の県知事は「あの」山本一太である。