ほぼ足りてまだ欲 その先

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三島由紀夫 清澄庭園

 私は三島由紀夫の著書を全く手にしたことがない。ここ20年ほどほぼ小説を読まないので、ここから先に読むとも思えない。そんな人間がなにかを言及するべきではないのかも知れないけれど、NHKの「アナザーストーリー」が三島由紀夫だったので、たまたまそれを見てしまった。いずれにしてもこの番組はMCが沢尻エリカだったときは、本当に彼女が現れる違和感が気持ちが悪くて、録画にしてその部分をすっ飛ばしてみていた。プロデューサーがアホなんだなと思っていたが、三島の回を見て、どうやらこのプロデューサーはガチガチの日本会議系右翼に相違ないと思うに至った。三島由紀夫の檄文を濱田岳に力を入れて読ませたこと、もと楯の会だったという篠原裕なる人物に当時の左翼思想について「私たちは大っ嫌いだった!」と強くいわせていること、「国を愛するという根は一緒だった」と元文化放送の記者にいわせているあたりはさすが今の体制の中にあるNHKなんだなという感慨を抱いた。

 あのグループ・サウンズのユニフォームかと思わせるような制服を着て「大義に生きること、そして死ぬことこそ人間だ」的な発言をノー天気にも数多くインタビューに答えていたことを思い起こすと、いくら徴兵検査で嘘をついて徴兵逃れをした自分を悔いているのだとしても、許せない思いで一杯だ。300万人ともいわれる戦争の被害者の中には、ジャングルや、離島で飢えに飢えて這いずり回って死んだ人たちは数限りない。三島の言い方からしたら、彼等は全く浮かばれないのだよ。三島は「人間は」といって自分が「人間」を代表していると思っているという大きな勘違いを犯している。1970年11月25日といえば、私はこの事件のテレビ中継を大学の5号館ロビーにあったテレビで見ていた。私のその時の興味は、二年前私たちが主催していたスキーツアーで、先輩が連れてきた、その後楯の会に入っていると聞いていたF田という早稲田の学生が市ヶ谷の駐屯地に乗り込んだメンバーの中にいたのかどうか、ということだった。あんなに天気の良い日だったとは思わなかった。

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 昨日の百花園から帰って、そうだ、清澄庭園に行ってみようかと思った。歩いて行ったら多分4km位はあるんだろうかと思ったから、また軟弱にもバスに乗った。今日もまた25-6℃まで温度は上がっただろう。清澄庭園はもちろんガラガラだったけれど、切符窓口まで行くと、私の前には4-5歳の子どもを連れた父親とおぼしき人が小さなバケツや網を持っている。どこかでなにかをとろうとしているように見えるが、公園のかかりの人たちはそれを咎める雰囲気もない。子どもには大目に見ているらしい。融通が利いていて良いなぁと思うと同時に、そうか、今の子ども達はこんなことをする場所も、そんなに自由にあるわけじゃないんだなぁと思った。私たちの子どもの頃は、あっちにもこっちにも、子どもが自由にそんな遊びをする場所もあったことを忘れている。

 ほとんど写真を撮る対象も見つけられなかったんだけれど、南側の奥まった一角に八重桜の開山が数本立派に立っており、今正に満開を迎えて佇んでいた。子ども連れがひと組、私の他にひとりでボソボソと歩いている人が3人、そこへ爺さんの二人組がカメラを手にやってくる。楽しそうに、いわゆる披露宴で開陳に及ぶ二人の写真を撮影していた豪華な着物の女性と、紋付き袴の男性は、女性カメラマンに導かれてバシャバシャしていたと思ったら、こっちが気がつかないうちにいなくなっていた。今日あたりじゃあの格好は暑くてたまらないだろう。

 家に帰って地図を見て、自分が清澄庭園は二三度入ったことがあるけれど、西隣にある「清澄公園」に入ったことがないことに気がついて愕然とする。あっちの方が森が濃いかも知れない。