ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

耐え難きを耐え

写真は本文とは関係ありません

 誰がいっていたのか忘れたけれど、国民学校の5年生の時に1945年8月15日を迎え、整列をして学校で天皇の放送を聴いたんだが、何いっているのか分からなかったと。「耐え難きを耐えて、忍びがたきを忍んで」より一層本土決戦に期するんだということかと思ったと。
ところが前に立っている校長と教頭が嗚咽を漏らし、何人かの教師が同じような状態を呈するに及んでこりゃおかしいぞと思ったと。
放送後に校長が前に立って「聴いたように日本は戦争に負けた」といったのを聞いて、そうなのか、とようやく思ったというのだ。
 まぁ、そうだろうな。私だって、あの放送じゃ何のことをいっているのか分からなかったと思うよ。

 昨日の夜に3回目の放送をしていた「マルレ」の話にしてもそうだけれど、合板性のボートに機雷を積んで敵艦に突っ込んで行き、機雷を落として反転、帰還を目指す特攻艇部隊なんぞ、3000人も配備して1900人が死に、敵の被害は2-3隻の大破、10数隻の損害程度だった。

 そもそも、この戦争はその始まりからして、物量が米国にかなうわけはないし、軍の装備そのものが脆弱な上に、軍事的考えそのものが旧態依然としたものだった。なにしろ心構えによって戦争しようってんだから。銀輪部隊なんて、自転車に乗って行くんだよ?トラックなんかじゃないんだから、寂しいもんだ。それをプロパガンダ映画では、「勇躍前進する我が銀輪部隊」なんていってんだぜ。もうすでに勝てっこない。

 貴重な命を国に捧げた国民の皆様の御霊を慮り、感謝の念をささげるために靖国神社へ行くんだそうだが、そのためになんでこのクソ暑いのに旧大日本帝国陸軍の軍服コスプレで行かなきゃならんのか、意味がわからない。中にはナチの軍服のバカだっている。
 どうせやるなら、横井庄一や自己主張の塊・小野田寛郎の様に、自作のよれよれ服に身を包んで、行ってみたらどうか。靖国に祀られている多くの餓死者、病死者の皆さんが喜んでくださるのではないのか。

 遠い他国の空の下で、ミミズまでを喰らい、次に敵を殺せたら、食ってやろうと思いながら無念の気持ちを抱えて死んでいった多くの兵隊たちに想いを馳せろ。
一体、どうしてこんなことになってしまったのか。
誰が騙したのか。
誰がこの欺瞞の中に国中を狂わせてしまったのか。
洗脳がいまだに解けていない連中がいまだにこの国を動かしている。

 雨の神宮外苑でゲートルを泥だらけにして行進した学徒兵たちの中には、ほんのちょっとの訓練だけで航空機に乗せられ、ヒロポンで覚醒された状態で、敵艦に突っ込んでいったものが何人もいた。その頃でも十分に訓練された航空兵はまだいたけれど、彼等はそこまで金をかけて訓練されてきた。片道切符の突っ込むだけのために彼等を使うわけにはいかない。多少目端がきいて金のかかっていない連中を起用する。ましてや大学なんぞへ行きやがって従軍忌避を目論む奴らには天誅だ、とばかり。
それを77年経っても美化する馬鹿がこんなにいるんだから、この国は全くあの戦争を生かした社会づくりになっていない。

石ころとか、砂しか入っていなかった白木の箱を渡されて、しょうがない、諦めるしかないというのに、まだそれを引きずる政党に投票するのはあまりにも悲しすぎる。

「忠良ナル爾(なんじ)臣民」なんぞくそくらえなのだ。