ほぼ足りてまだ欲 その先

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あんつる

 驚きましたなぁ。初出は1959年の青蛙房版だてぇんですから。それを筑摩書房が1991年に出して、旺文社文庫ちくま文庫を経て、今日古本「木菟」で入手したのは2000年7月出版の平凡社ライブラリーでございます。
 しかも、安鶴の「凡例」によると東京新聞が発行していた「週刊東京」に連載したものだっていうんです。えっ!週刊東京!?聞いたことないよ。ある方のブログによると創刊は1950(昭和30)年8月20日。1巻から2巻32号までは「東京新聞土曜版」だったというんです。創刊号の表紙は若尾文子(ブルブルッとするくらいいい女でございますなぁ)。わたくし小学校二年生でしたゆえ、知る由もございません。それでも発行部数が60万部もあったそうです。(にわかには信じがたい)。
よその新聞から不当景品ではないかと苦情が出て、単独週刊誌になったというものの、当時は35万部は出たそうです。1950(昭和30)年8月20日号で廃刊に。
 そんな中で、138回連載されていたんだと書いてございます。

 私が覚えている安藤鶴夫ってのは丸坊主でメガネを掛けたなんだか威張った感じのおっさんです。もちろんテレビで見ただけです。1908年(明治41年)11月16日浅草橋の生まれだってんですから、家の親父よりも3年半ばかり歳上で、なくなったのが1969年9月9日っていいますから、わずか60歳です。今だったらかなりの早死ですよ。青蛙房から出たときで51歳。生意気盛りでしたでしょうね。

 百川に出てくる百兵衛さん、信州の人で当時二十五歳だと書いてございます。はて、どこで年齢がわかるんでしょう。