ほぼ足りてまだ欲 その先

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訃報

 「ドウス昌代さん(どうす・まさよ=ノンフィクション作家)11月18日、パーキンソン病による合併症で死去、84歳。葬儀は親族で行った。」
 ぽつんと朝日と毎日のデジタル有料記事にこんな一行が載った。どれだけの人が彼女の著作を知っているのかわからないけれど、私は彼女が書いた「東京ローズ」を読んである意味日系アメリカ人について目を開かれたといっても良いかも知れない。

 底本は1977年に今はなき田村勝夫のサイマル出版会から発刊された同名本である。この本によるとドウス夫妻は1976年から日本滞在中であるとしてある。1960年代に夫が教鞭をとっていたセントルイスの街からシカゴへ車を飛ばして日本食材を買いに行った店で、いわゆる東京ローズとして国家反逆罪で有罪とされたアイバ戸栗ダキノに偶然であったのがきっかけだったと書いてある。そこは山梨出身のアイバの父、戸栗遵が経営する店だった。6年間の服役から帰ってきて彼女は実家の店を手伝っていた。
 ドウス昌代がこの本を出してから、上坂冬子がやはりアイバ戸栗ダキノに関する書籍を著しているが、この本の後追いといってもいいだろう。その後、アイバ戸栗ダキノに関する日本語による書籍を私は知らない。その後2013年にテキサス大エル・パソの教授であるYasuhide KawashimaがUniversity Press of Kansasから「The Tokyo Rose Case - Treason on Trial」を上梓しているが日本語で出版されているのかどうかは寡聞にして知らない。

ウィキペディア:梅澤昌代 1938年9月12日岩見沢市生まれ。夫はスタンフォード大名誉教授だったPeter Duusだが、ウィキペディアによれば、Peter Duusも2022年11月5日に88歳で逝去したばかりである。

 ドウス昌代の著書は7冊文庫が私の書棚に刺さっている。

 ドウス昌代の最後の作品が『イサム・ノグチ 宿命の越境者』(講談社 2000 のち文庫)ではないかと思う。かなりな力作だった。彼が野口雨情の子どもだったこと、茅ヶ崎で育ったこと、わざわざ米国の日系人・日本人強制収容所のひとつに入ったこと、戦後山口淑子と一緒になり、北鎌倉の魯山人の家で暮らしたこと、広島の原爆慰霊碑デザインでやっぱりないがしろにされたこと、すべてこの作品から知った。後にこれを原作にした映画「レオニー」ができた。その後ひょんなことからこの映画を制作・脚本・監督を担当した松井久子さんと遭遇することがあり、彼女が吉目木晴彦原作の「寂寥郊野」(1993年芥川賞)を映画化した「ユキエ」をやはり製作・監督・編集を担当したと知り、その場で彼女自身からDVDを手売りしてもらった。この原作が私が移民先でひとり認知症になる可能性のある高齢者の境遇を知る切っ掛けとなった。異文化における自己の確立、という意味では戦争花嫁の境遇を知ることは意味が大きい。

 戦争花嫁といえば、豪州へ移住した戦争花嫁の人たちを永いことサポートしてきたキャンベラのANU(Australia National University)の講師で、かつてAustralian War Memorialの研究員だった田村恵子さんが2001年に英語で出版した「Michi's Memories」が今年になって梨の木舎から、「教科書に書かれなかった戦争」シリーズのパート73として日本語で出版されたそうだ。