ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

李香蘭

 こっちも入手しておかなくてはということで図書館から借りだした。
旅行中に読もうと思っている。
山口淑子は1950年にハリウッドにいっている。
ニューヨークのアクターズ・スタジオで発声術なんぞ学んでいる。
エディット・ピアフがクラブで歌っていたという。
山口淑子は映画『東は東』(ひがしはひがし、原題:Japanese War Bride)にその日本人の戦争花嫁役で出演する。
一方、ミュージカルへの出演も決まる。
王様と私」に出演していたユル・ブリンナーを紹介され、何度も彼とデイトをした。
ユル・ブリンナーは(知らなかったけれど)モンゴル人の父親とルーマニア系ジプシーの母から樺太で生まれたと書いてある。
このニューヨーク滞在中にイサム・ノグチと出会っている。そういえば、ユル・ブリンナーイサム・ノグチは似ていないことはないなぁ。
イサム・ノグチ山口淑子を取り持ったのは、どうやら石垣榮太郎・綾子夫婦らしい。石垣榮太郎のことは私は全く知らないけれど、石垣綾子は1996年まで存命で、時としてテレビなんぞで見た記憶はある。石垣栄太郎は画家で、野口米次郎とは友人だったので、もちろんイサム・ノグチとは旧知だったようだ。イサム・ノグチ山口淑子に「戦争の間は苦しんだでしょう」と語りかけたというのだ。時にイサム・ノグチは46歳だったそうだ。山口淑子は30歳で、年の差16歳。今だったら、芸能人の年の差婚としてはまま、あり得るかもしれない。
チャーリー・チャップリンビバリーヒルズの大邸宅へ連れて行ってくれたのもイサム・ノグチだったそうで、その頃チャップリンは映画「ライムライト」製作中で、作ったばかりだというあのテーマ曲をピアノで聞かせたという。


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 チャップリンがスイスへ移住してからも山口淑子は何度か訪れたことがあるという。

 イサム・ノグチ山口淑子が結婚して北鎌倉の北大路魯山人の家を借りて住んだのは、イサム・ノグチ魯山人と友人だったからだそうだ。山口淑子は1953年まで米国入国のヴィザがおりなかった。それは彼女が赤狩りのリストに載っていたからだった。

ロッキード事件児玉誉士夫代理人として働いたといわれるロバート・H・ブースは1952年に退役して日本にいて、「霧笛」という映画に出たことがあるという。

 イサム・ノグチ山口淑子は4年間結婚していたことになったけれど、その間、ヴィザの問題なんかもあって、まるっきりのすれ違いだったようだ。イサム・ノグチの結婚の話がようやくわかった。(あれ?ドウス昌代の本を読んだはずなのに、なんで知らなかったんだろう。すっかり忘れているということか。やれ、やれ。)彼女はその間二度流産したそうだ。
1958年に8歳年下の外交官、大鷹弘と再婚。

この本の底本は1987年に出版。山口淑子は2014年に94歳で死去。夫となった大鷹弘は2001年に73歳で死去。イサム・ノグチは1988年に84歳で死去。