ほぼ足りてまだ欲 その先

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藤村有弘

 唐突な感は否めないけれど、突然、藤村有弘の話。もちろん逢ったこともないし、なんの縁もない。
たまたまネットを見ていたら往年の日活俳優陣、という写真を目にしたんだね。真ん中に立っているのは石原裕次郎小林旭だった。後ろの俳優を見ると、なんと桂小金治やら、岡田真澄やらが混ざっている中に、藤村有弘も写っていた。

 藤村有弘といったら、「ひょっこりひょうたん島」のドン・ガパチョだよね。「みんなっさぁ〜〜ん!」ってやつ。それからテレビに、よく「11PM」に出てきては、いい加減なイタリア語やら、ドイツ語やらを駆使して、私というか当時の僕はそれが大好きで、最後に「スパゲッティ、ナポリターナ」がつくのが大の気に入りだった。今でも時々それを口にするってくらいだ。

 なんで彼を「バンサ」と呼ぶんだろうと不思議だった。もうひとりの藤村、藤村俊二は「オヒョイ」と呼ばれていたらしいけれど、それはだいたい想像がつく。藤村有弘はどうやら、「いい加減外国語」をやったらその最後に「バンサ、バンサ」とつけていたから、そこからついた、という説明を何処かで読んだ。そりゃ想像がつかない。巨泉はそういう楽屋落ちな呼び名をテレビでこれみよがしに使っていたっけ。「ハッパフミフミ」だって藤村有弘の影響じゃないの?

 その藤村有弘が死んでからもう42年も経つんだと知って「おどろ木ももの木さんしょの木」だった。なにしろ当時たったの48歳だったというんだね。え〜っ!あのおっさん、まだ50歳に達していなかった!持病の糖尿病が悪化してあっという間に他界したそうだ。どなたかのブログで知ったんだけれど、かれはアマチュア無線が大好きで、伊豆の下流(したる)にあった別荘には屋上に大きなアンテナが立っていたんだそうだ。ご多分に漏れず私も浜松町だったか、あのへんにあった電波監理局に受験書類を貰いに行ったような気がする。受験しなかった。本格的に取り組むととんでもない金がかかることがわかって、自分の範疇じゃないなと身の程を知ったからだ。同年輩の知人には今でも免許を持っている人がいる。

 下流(したる)という地名にはちょっと縁がある。家人の実家の親戚がかつて下流で漁業を営んでいたことがあって、そこからお店に私達と同年齢くらいの人たちが上京して住み込みで働いていた。それで結婚前の夏休みに、下流まで海水浴に行ったことがある。夏は伊勢海老は禁漁なので、食べた記憶はないが、アワビのような小さい貝、トコブシの煮付けを山のように出された記憶がある。水ぶくれになるくらい日に焼けた。

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