もう20年近くも前の本である。月刊文藝春秋に例のように立花隆が2002年10月号から2005年9月号までに連載したものが集大成されたもので、現在は文庫本全4冊、kindle版全4冊となっている。私は立花隆が他界したあと、古本屋で上下二巻を入手した。たぶん谷中の「木兎」だったと思う。今現在は上巻がどこへ積み上げたのかわからない状態になっている。
この下巻の最後に「補遺 東京帝国大学が敗れた日」という項目がたててある。8月15日に、東京帝国大学では安田講堂に集まって壇上に設置されたラジオから玉音放送を聞いたのだそうだ。とはいえ、文系の学生はすでに学徒動員をかけられたあとであり、理系でも医学部系が多く集まっていたそうだ。その時どのような感想を持ったかについて、立花隆は執筆当時多くの元学生に取材をしているそうで、それをこの本に掲載する余裕がないといって、文藝春秋社のサイトに掲載をしたと書いてある。連載時に書いてあったもので出版されたときにもまだあると書いてあったので、その後どうなったんだろうかと、「文藝春秋 東大0815」で検索してみると、そこには今でも掲載されている。これは立派。あっぱれだ。
アメリカ人、どうした?
よりにもよって、あんな人間として唾棄すべき行動しか取れないバカジジイを大統領に選んだそうだ。どうしたんだろう、アメリカ人は。おかしな感染症でも流行っているのか?!馬鹿の集まりなのか。
英語の看板
考えてみたらおかしな話で、日本の街なかには英語の看板で溢れているでしょ?なんだかなぁと日頃から思ってはいるんだけれど、なんと表現してよいのかまだわからない。日本語の看板だけだと外国人の人にわからないと不便だからなのだと説明されればそうかも知れないけれど、日本語の看板なくてアルファベットだけだったりするわけよ。それが格好いいってわけ?くだらなくない、その発想?

