ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

そういえば

 米国にもうかれこれ45年ほど暮らしている友人からLINEがきて、娘がFBで淡水真珠の配信をしているといってきた。お嬢ちゃんはジュエリー・デザイナーで、旦那が真珠の貿易商をやっている。昨日、今日は霞ヶ浦の真珠ファームから淡水真珠のセールなんだという。このあと宇和島へ移動して、今度は海真珠をやるらしい。息子は大学を卒業してから日本で家庭を持って仕事をしている。子どもたちもそれぞれ言葉の通じないところへ引っ越して苦労したらしいけれど、今じゃ至って順調に育って、親としてはいうことなさそうだ。それにしても、霞ヶ浦で淡水真珠を作っているなんて知らなかった。



 日頃必ず読んでいるブログがいくつかあるんだけれど、あるクリエーターの方が古今亭志ん輔とテレビ番組で一緒だった時期があって、「湯島のシンスケで飲んだ流れで鈴本演芸場の前を通りがかったら、(中略)そこに、帰り支度の志ん輔さんが現れて「あ、これはまた!お久しぶり」と書いておられる。

 いや、別になんということもないんだけれど、実は志ん輔がまだ朝太といっていた二つ目の頃、わたしは飲み仲間から誘われて彼の会に何回かいったことがあって、ホォ、こりゃたしかに志ん朝さんのお弟子さんだねぇ、と感じ入った時期がある。それくらい口調がそっくりだった。それから、「湯島のシンスケ」って飲み屋だけれど、うちの親父の従兄弟に当たる人がかつてこの店に、まるで住民のように通い続けていて、晩年湯島の坂を上がったところに住んでいたことがある。もう20年くらい前に友達と飲みに行ったことがあって、旦那にその話をしたら、うちの親父のことまで知っていて、よっぽどの関わり方だったんだなぁとびっくりした。おじさんが一人で暮らしているという坂の上のマンションに尋ねていったら、心臓が悪いんだといっていた。一度うちの親父に逢っておきたいというので、車で一緒した。親父もお袋も私たちもみんなで再会を喜んだ。そのおじさんはとつとつと岡山の方言をそのままに私たちが子どもの頃から、かまってくれたものだった。もう今はあのおじさんも、うちの両親もとっくに他界してしまったけれど、おかげで思い出すことができた。こうして思い出すことができている間は、みんなまだ、心に生きている。