
常山アジサイは名前にアジサイがついているけれど、分類的にはディクロア属の常緑低木、アジサイの近縁
そうだったんだ。通りかかりに、あ、この紫陽花はまたちょっと変わってんなと思って写真にして、Googleにお伺いを立てたらそういう返事で、驚いた。確かにそういわれてみれば、ちょっと雰囲気が違う。
つれあいが朝早くから髪結さんへ行くから起きていたら朝7時に起こしてくれというので、朝4時から起き出して、すぐにコーヒーを入れて録画を見ていた。どうしても眠くなったので、7時前に起こして自分は寝た。文化放送で志の輔の「落語でデート」が始まったんだけれど、1971年録音の先代林家正蔵(彦六)だったんだが、ちょっとまどろっこしくって寝た。そんなことを思ったのは初めてで、あのまどろっこしさが好きだったのに、いざ自分が同じような年令に達したら、なんだか、自分の受け取り方が変わってしまっていて残念だ。
全くお逢いしたことがない、銀座に事務所を構えておられるコピーライターの方が、ご自分のブログに立花隆先生のゼミの教え子だという木村俊介の本を紹介しておられて、これは読みたいなと、隣の区の図書館から借りだした。
「仕事の話 木村俊介 文藝春秋 2011年6月刊 336p」人の話の記録は面白いのだ。
これも木村俊介で、1999年2月刊 390p
立花隆の序文を読んだだけで、木村俊介のとんでもない才能にひれ伏しそうになる。そもそも私は埴谷雄高(はにやゆたか)本名:般若豊を知らないってのがどうしようもない現実で、名前は見かけたことがあるけれど、全く興味なんぞなかった。埴谷雄高が他界したのは1997年2月のことで88歳だった。木村俊介のゼミの指導教授である立花隆によれば、木村俊介はここに記載した人の二倍近い人達にインタビューをしていて、オリジナルはこの三倍くらいの分量があるというのだ。しかも、彼は学生であった。
私はそのコピーライターの方がこのインタビュー集で鶴見俊輔について書かれているというのを読んで、あぁ、これは読みたいなと思ったのだけれど、またまた面白い方角が開けてしまったような気がしてきた。
帰りのバスの中で、50代と思しき女性から席を譲られて、なんの躊躇もなく「ありがとうとございます、助かります」といって座ってしまったのだけれど、考えてみると、ずいぶん図々しいことであった。
