ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

図書館に行く


 

 イーユン・リー著 河出書房新社 2025.11刊 なぜこれを借り出したのか、思い出せない。



 どうせ回答なんてものはどこにも転がってはないのだろうけれど、どうして生きとし、生けるものにはすべからく寿命というものがあるんだろうか。動物だけではなくて、植物にも、昆虫にも、魚たちにも「果る」時がくる。それまで、ホンのさっきまで意地悪そうに歩き回り、人に嫌な思いをさせ、人を感動させたりしてきたとしても、おしまい、という時が来る。朽ち果てる。次に生まれてくる「生」に肥やしになったりする機会に恵まれた朽ち果てた生命体なんぞはむしろ恵まれた環境にいったといっても良いくらいで、ほとんどの朽ち果てたそんなものたちはほとんど無様である。オードリ・ヘップバンだって墓の中では無様な姿だろう。そうして隠しておいても、狐に食べられちゃってどこの誰にもその無様な姿すら知られずに朽ち果てた、ぴょんぴょん飛び跳ねていたうさぎだって、おんなじなのだ。

 どうせだったら、とても愛情深く接してきた人たちに対してだけは、そのまま生命が果てなければよいのではないかという気がしないでもないが、それだと、キリが無くなるということなのかもしれない。地球上がぎゅうぎゅうにならないために、すべての生きとし、生けるものは腐敗するという仕様に設定したのだとすると、万物を創造した神様という存在は、ちょっと侮れない気がする。なかなかやるじゃないか。



 佐多稲子の「私の東京地図」を人につられてペラペラとめくっていたら、向島の話が書かれていた。そういえば小梅町という町名はずいぶん小粋な名前だなぁと思った記憶があるが、「小梅小学校」となると、なんだか舞台かテレビのドラマにでもでてきそうな架空の学校名のような気がする。

 「キャラメル工場」を読んでいないことを思い出した。

       
 どうしても手元においておきたい本はやっぱり自分で買おうという気になった。教文館にいって三冊を買ったら、それだけで簡単に5千円を上回った。やっぱりもはや書籍は贅沢物となってきてしまった感が濃い。なんだかとても悔しい思いがする。若い人たちがいろいろ知らないことがたくさんあってもそれはもはや仕方がないといってもよいだろう。