ほぼ足りてまだ欲 その先

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三田佳子の息子

 覚醒剤絡みで三度目の逮捕だそうだ。以前にも確か彼が逮捕された時に三田佳子がテレビに映されて「育て方が間違っていました、申し訳ありません」と涙ながらに語らされていた。彼女はなぜこんな立場に立たされ、あなたの親としての所業は間違っていると糾弾されてきたのだろうか。私達と彼女の立場の違いは何かといえば彼女が名の売れた女優であるということだけだろう。人前に姿をさらすのが仕事だということだろう。
 ドラッグ依存になってしまう人の数はかつてに比べたら驚くほどの数に上っているだろう。何でも放り出してしまい、どうなってもいい、私はこれから先どうせろくなことにはならないとアルコールに走る、ドラッグに走るという人は後を絶たない。悪ぶって、あるいは訳知りを装って、ちょこっと手を出してそこからどんどん深みにはまっていくのは、なにかのきっかけで感動的な映画に出会った人がそこから映画にはまりこんでいくのに比べると、その対象は大いに異なるのに、きっかけがあまり変わらないかも知れない。そうして違法ドラッグに手を染める人間を擁護する積もりはこれっぱかりもない。
 その人を諫め、力を提供し、生きる力をどこに求めるかという試行錯誤をすることができる方法を探し回るのはひとりではできないだけではなくて、どの時点を期してそうした社会的資本にアクセスをしたらよいだろうかという限界点を見極めることに、人は多分迷うだろう。公的な機関であればあるほど迷うだろう。「こんな程度で来られても困ります」といわれやしないか、本人は「俺を病気扱いするな」というんじゃないかと迷うだろう。
 三田佳子は親として甘いとマスコミから追求されている。父親もそういわれているのだろうか。違法ドラッグ依存症の子を持つ親はこの社会に何人もいるだろう。そうした親のひとりひとりも甘い親として糾弾されてしまうのだろうか。私は三田佳子自身がどのくらい甘い親なのか全く知らないからこんなことをいうときっと反論があるのだろうけれど、芸能人で息子に甘い親は辛いものだ。名の知られていない親はその点どんなことがあってもマスコミに追いかけ回される心配がないだけ、救われる。
 とかくテレビはこうした対象をことさら取り上げてことさら追いかけ回す。犯罪被害者の周辺の人に取材をして「とても良い人だったのに」と嘆かせ、逆に加害者の周辺の人々をも追いかけ回して「そんなことをする人には思えなかった」といわせ、『可哀想ですねぇ、本当に可愛い人だったというのにねぇ』『ねぇ、ねぇ、知ってる?こんな奴だったらしいよ、怖いねぇ。こんな奴を歩かせておいて良いんですかねぇ』とやる。事実を報じてもらうことには異論はない。おかしい事件について事実はこうではないのか、と追いかけ取材をする姿勢はジャーナリストとしては素晴らしい。しかし、それ以上はいただかなくても結構だ。
<祐也容疑者は、高校3年の18歳だった1998年1月、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、保護観察処分を受けた。2000年10月にも同法違反容疑で逮捕され、懲役2年、執行猶予5年の判決を受けた(東京中日スポーツ2007年11月17日)。>