ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

生涯

バイカウツギ

 それほど先のことではないが、私の生涯が終焉を迎えることになる。ぷつんと息が途絶えるわけだ。そのときに意識はあるんだろうか。「あぁ、これで終わりなんだ」という意識を持つことができるんだろうか。そこからまるで昔のブラウン管のテレビが消えるみたいに、プ〜ンと意識が遠のいていくんだろうか。それとも、ブツッと意識もへったくれもなく「断」と切れるんだろうか。


 それでもうなんにも無くなる。ここまであぁだこうだといっていた「価値観」どころか、なんも、ゼェ〜ンブ「無」となる。あとは生き残っている人たちの思い出の中に生きるだけだ。そしてその人達の意識もいつか、ぷつんと切れしまうわけで、それで、私の生涯はあっけなく終わる。

 「ソウソウ、そんな人がいたらしいよ」という話題にすらならなくなる。コロリンシャンなのだ。






        

年に一度


 天気予報を見ると、朝方の雨はやんで、昼は雨は降らないだろう、ただし夜遅くになるとまた降る、という。
この日を逃して、小岩菖蒲園に行く日はないな、と思ったので、さっそく京成電車の各駅停車電車しか停まらない「江戸川」駅へ。押上へ行くとホームに空港アクセス線経由の成田空港行き特急が止まっていた。これは青砥、京成高砂に止まる。電車の中は成田空港から次の旅先へ飛び立つのであろう、スーツケースを携えた外国人観光客ばかりだった。多分これでも中国から来る人が激減したからまだマシな方なんだろう。高砂で各駅を待つ。問題は高砂で、どの各駅停車に乗れば良いのか、瞬時にはわからない点だ。若い駅員さんがいたのでお伺いすると、表情ひとつ変えずに、アナウンス直後だったからか鼻にかかった声で「(ホームの)こちら側、次の京成佐倉行きをご利用ください」と教えてくれた。

 江戸川の駅は全然変わらない、というか、変わりようがない。駅の脇を川の土手に向かっていくと、すぐ脇はもちろん江戸川を渡る鉄橋で、すぐさま「江戸川駅」へ停まらない通過電車が、グワングワンとまるで雷でも落ちたかの如き音を撒き散らしていく。

 土手の階段を「ヨイショ、よいしょ」といって手すりを引っ張りながら上がる。初めてきた時は、手すりなんてあったのか、といわんばかりの勢いでひょいひょいと上がった記憶がある。今では土手を上がって下るだけで、(あぁ運動になるなぁ)とつぶやくのだった。



 それからさきはもう花しか視界に入らなくなる。今年はなんだか紫陽花が菖蒲に追い抜かれつつあるのではないか、というくらい真っ盛りといって良い。雨でしっとりと濡れているのも良い。雨粒が紫陽花にも、菖蒲にもキラキラしている。


 近隣の老人ホームから遠足に来ている人たちがあちこちにおられて、みんな嬉しそうだ。でも介護の人は大変そうだ。


 帰りは京成曳舟で降りて、イトーヨーカドーによって、ここのところこれなくしてはいられない「湧水わらび餅」を買って帰る。









       





      

大往生



 「大往生」というと、永六輔の新書だったかのタイトルですが、作家の佐藤愛子が大往生したそうです。102歳だったそうです。ざんねぇ〜ん!私のつれあいのおばさんは103歳で大往生でした。99歳で脳腫瘍の手術をしたという豪傑です。良く連れて行ってもらった寿司屋は戦後からずっとあった寿司屋で、おばさんの高いとほぼ同じくして廃業したというくらいのもんでした。意味がよくわからない。

 サトウハチローとは異母兄弟ですが、20歳も離れていますから兄妹といってもほとんど親子ほど年が離れています。「サンマ苦いかしょっぱいか」のサトウハチローは70歳で死んでしまいましたから、やっぱ女は強い。
 自身も三度結婚したそうですね。

 死んだらやたらと持ち上げるテレビや雑誌で辟易です。あの婆さん、曽野綾子とも昵懇だったらしく、いつだったか二人で「やっぱブランド品は良いわよねぇ」とオダを上げておるのを見て、あぁイヤダイヤダと本当に嫌いになりました。


 わざわざこんなこと書かなくたって良いじゃないか、という声が聞こえてまいります。実は題材がない。

2026年3月刊 読売新聞大阪本社取材班

驚くことにこの本の中には「鈴木エイト」の「す」の字も出てこない。

そうそう、そういえば鈴木エイトの新刊も出ました。5月29日刊







        



        

バカジジイ


好天気でございましたねぇ。
根岸からバスで帰りました。
坂道を登るのは辛いから。

一番うしろの5人席に大きな女の人が右に、65歳くらいの爺さんが大股おっぴろげて左に座っていました。
途中から何人も乗ってこられたので、左のおじいさん(このあたりまではまだおじいさん)にぴったりくっつくように座ります。
その爺さん、全く左端に詰めないんです。半人分ぐらい開けてます。なんの意図があるんだろう。

私、ぎゅっと細くなりました。
すると途中の停留所でそのジジイ(もう頭にきたのでジジイ!)、急に立ち上がり、なにもいわずに人の膝をグイグイ押し開いて出ていきました。
思わず私「んだ、この野郎」とつぶやきました。

バスの窓から見ると、そのジジイが私を睨みつけているのです。
だから、「アンダよ!」という雰囲気でこっちも睨みつけました。
すると、やつ、バスに向かってつばを吐きました。

 ガキじゃあるまいし。

 おっさん、奥へ詰めてよ、といえばよかったなぁ。なんでこんなことで頑なになるんですかねぇ、クソジジイは。






         
       



       

えっ!

 大変にショックだった。丹下左膳や、快傑黒頭巾で毎週のように通った「反町東映」の銀幕で散々楽しませてもらっていた大友柳太朗は、1985年9月27日、 73歳で自死をしていた、というのだった。なんだか大振りな感じなんだけれど、とてもリアリティがあったというか、子ども心に、このおっさんだったら偽物じゃないな、と思ったものだった。新国劇で辰巳柳太郎に師事していたのだと聞くと、あぁ、それでなのか、と合点がいく。今頃、彼の晩年を聞いて、とても寂しい思いをする。






         

久しぶりに

 再開してから二回目である。一時閉店前に比べると蕎麦の茹で加減がずいぶん固くなった。近頃の蕎麦屋はやたらと茹で加減が固くて、あんまりそういうのは好きじゃない。最初っからツルツルと手繰れる蕎麦がいい。エビの揚げ方もちょっと早すぎる。尻尾がカリカリに揚がっていてほしい。そうでないと尻尾まで食べられない。硬いエビの尻尾を食べて腸閉塞になった人の話を聞いたことがある。





 曳舟までいって図書館に本を返してまた新しい本を借りたら、そのまま京成で江戸川まで出ようか、と思ったんだけれど、予約してあった本が5冊もあって、重たいので、諦めた。


 蕎麦をあれだけ食べるとさすがにその後は殆ど食べられない。