図書館から出た時に、そうだ、押上のLIFEで「いももち」を見つけたのはいつ頃の話だったっけ、あれはまだ寒い頃のことだったよなぁ、と思いながら、イトーヨーカドーに入って行った。菓子パンを買おうと思ったんだけれど、湧水わらびもちの小さいパックを買って、その向かいの揚げ物が並んでいる棚を見たら、なんと、そこに!!「いももち」がそれもまだ暖かい「いももち」が並んでいたのである!家に帰るなり、食べた!旨い。
図書館から出た時に、そうだ、押上のLIFEで「いももち」を見つけたのはいつ頃の話だったっけ、あれはまだ寒い頃のことだったよなぁ、と思いながら、イトーヨーカドーに入って行った。菓子パンを買おうと思ったんだけれど、湧水わらびもちの小さいパックを買って、その向かいの揚げ物が並んでいる棚を見たら、なんと、そこに!!「いももち」がそれもまだ暖かい「いももち」が並んでいたのである!家に帰るなり、食べた!旨い。

国会議員だけでなくて、首長選挙でも、ほとんどの候補者が、当選をすると「ばんざぁぁっぁい!」とみんなで「やった!やった!」とやりますよね。テレビのニュースでもよく見かけます。
なんで万歳なのかと。これから彼らが担当することになるのは、この国の全国民の将来を預かり、舵取りをしていくということで、並大抵の責任ではないというのに、なんで彼らは破顔一笑、バンザイを叫ぶのか、不思議でたまらない。私だったら重圧で、それどころじゃない。
なんぞと通りいっぺんのことをいうが、奴らはこれでたくさん儲けることができるぞ、やったね、バンザイ、万歳と思っているわけである。自民党とか維新とかを見たってわかるように、平気のへいざで金は誤魔化す、払うものも誤魔化して払わない。自分たちの歳費はお手盛りでどんどんあげるし、あまつさえボーナスなんてものまで平気で支給される仕組みにまで持っていく。企業団体献金はまさに贈収賄なんだから辞めようじゃないか、その代わりに国庫から各政党に補助を出そうじゃないかと取り決めて、政党助成金なんてのを勝手に作り出して、こりゃ二重取りだ。なぜって、企業団体献金をやめていないんだから。おふざけでないよ。
奴らのばんざぁぁぁい!をテレビの画面で見てよくまぁ平然としていられるもんだと、腹が立つ。
都電に乗って某区の図書館にどっさり返却に行ってきた。ありがとうございました。
近所の路地に半分地域猫になっているデブのハチワレがいて、通りかかったら水を飲んでひょいひょいとある家の軒先に登って見下ろしている。うちに帰って「登っていたよ」といったら、私の直前に家人が通りかかって餌をやったというのだ。あいつ、私たち二人の関係に気がついていないのだ。

晶文社から2007年に出た、全5冊の小沢昭一座談集の一冊を読んでいると、小沢昭一、立木義浩、三國一朗の鼎談が載っている。どういう組み合わせなんだろうと思うと、これがなんと三人とも写真屋の倅だという。小沢昭一はラジオでもなんででも蒲田の写真屋が実家だったというのは知っている。立木が写真屋の倅だと聞いても、ほぉ、なるほどなと思う程度で意外性はそれほどないが、三国一朗が写真屋の倅だと聞くと、かなり意外な気がした。
小沢一郎の実家は最初根岸から日暮里にちょっと行ったところにあった、木村伊兵衛の写真屋の跡だったけれど、あんまり人が入らなかったとある。だから木村伊兵衛は神田に鞍替えしたんじゃないかと。それで小沢昭一の一家は蒲田へ行ったらしい。
三國一朗の実家は名古屋の栄にあった写真館だという。それを聞いて、あぁ、なんとなく三國一朗が柔らかい感じがするのはそのためかもしれないと思った。
三人の話を読んでいると、写真館というのは結構儲かったようで、そういえば七五三といえば、着物を着て千歳飴を手に持った子どもの写真が定番で残っている。学校では必ず何かといえば、写真屋さんが出張してきて、マグネシウムをバッ!と焚いて写真を撮った。そしてそれを「希望者は申し込んでください」と書かれた袋かなんかに印をした記憶がある。
その割にはあんまりたくさんの写真が残っているわけではないが、どこかにアルバムが残っている。
あんまり写真館が潰れたという話は聞かなかったのに、デジタルカメラが大普及して、それもほとんど消滅しつつある。写真屋の裏は必ず酸っぱい匂いがしたものだ。

子どもの頃から芝居はほとんど見たことがない。長ずるに及んで人様のイベントを手伝って、そのお礼に何回かもらった招待券で新橋演舞場に足を運んだ程度である。だから自分から切符を買って、たとえば小劇場へ足を運んだなんてことも全くない。子ども会のお芝居へ出たくらいである。それでも歌舞伎の名台詞の一つか、二つは知っている。それは多分歌舞伎そのものから学んだものではなくて、多分落語から、とか、そのパロディから、あるいはお座敷遊びから知ったくらいなものだろう。
それでいながら、その手のものは生で現場で見なかったら意味がないといってしまう。オペラだってそうで、今流行りの映画のスクリーンでメトロポリタンのあの名演を!なんていわれてもほとんど見ない。
なぜか。その手のものはクローズアップされてしまったら、もうダメなのだ。何しろ3階の天井桟敷の客だって見るんだから、その備えをしているんだから、それをバストアップかなんかで捉えてしまったら、もうそれは役者が可哀想というしかない。歌舞伎のおやまだって、玉三郎だって、アップされたら気の毒だ。
オペラは生で見なけりゃ意味がない。
西隣の区の図書館から、三國一朗が書いた「徳川夢聲の世界」を借りてくる。なんだかとっても古い本のような気がするけれど、実は1980年刊で、たかだか46年前だ。
カンツォーネ三回目。本当は四回目なのは私が初回にはまだメンバーではなかったため。権利放棄者が出たのでおはちが回ってきた。定員20名のところ、応募者が24名来たので抽選したという。しかし、現場を見たら、20名に区切る必要がどこにあるのか、納得ができない。これが30名になったら大変かもしれないけれど(いや、今のやり方ならできるだろう)、20名が24名になっても全く効果は変わらない。一人一人をトレイナーがケアしているかといったらそうではないからだ。
「遥かなるサンタ・ルチア」という曲で、イタリア語が甚だ面倒臭い。早口言葉をやっているようだ。あ!だからあのトレイナーは早口なんだな、と納得する。普通の人が知っているあの「サンタぁぁぁぁルゥチいやぁぁ」とは違う曲で、ナポリ歌でも故郷から離れていく人を見送る歌ではなくて、離れていく自分を歌う歌であるところが意味深いのだそうだ。日本のいわゆるカンツォーネ業界では知られているようで、YouTubeで探すと何人もの人が歌ってこれをアップしている。自分がやっていたバンドの下手くそな演奏もアップされているから、人のことはいえない。
トイレでトレイナーと一緒になったので、「いやぁ、素晴らしい声ですね!」と伝えたら、「誰でも時間と金をかけたらなれますよ!」とおっしゃる。こっちにはもう時間も金も残っちゃいない。

今や、下手をすると4−5日平気で髭を剃らない。マスクをするから外に出ても見えないし。しかし、自分でなんだか気持ち悪くなって電気カミソリで剃る。剃りながら考える。江戸時代の人たちは髷なんぞ結っていて月代を剃っていたわけだけれど、当然髭も剃っていたわけだね。職人や棒手振り商人が毎朝剃っていたとは考え難い。だけれど、映画やテレビドラマを見ていると、みんな綺麗さっぱり月代も髭も剃ってある。もちろん髪結床で剃ってもらったりしたんだろうけれど、あんなにみんながみんないつでもツルツルなわけがない。
テレビで昔のエリザベス・テイラーの「クレオパトラ」をやっていたけれど、あの時代の人たちが、みんながみんな揃って毎日髭を剃っていたような気がしない。もっともじゃもじゃだったんじゃないのか。誰か、そんな研究している人っていないもんだろうか。
検索してみると、確かにローマ時代の一般人でも剃っていたということらしいんだよね。
MLBの選手にはヒゲモジャがたくさんいるよね。暑苦しい気がしないでもない。

今や流行のSNSというやつにこう書いてみた。
「なんで今でも東京ではエスカレーターの右側に乗らないんですか?
二列で乗りましょう、歩かないでください、って書いてあるのに。」
「いいね」を押してくれた人は7人。
レスポンスした人は9人。
* * *
左側に乗ってます。見ず知らずの人とあのスペースで横並びで立ってるのは不快だし、右側乗ったら詰めないといけない感じになりそうだし、左側に人がいないとこに立つなら左側乗ってても変わらないしで本当に横並びだけはやめてほしい
それなら歩いていってくれた方が100倍マシ
頭悪いからです笑
2列で乗った方が早く着くのに
チッて言われるから。ꉂ🤣w𐤔
すみません、私は怖くてできないのです。舌打ちされたり、咳払いされたりしたらどうしようって。(昔にされたことあり)
急いでいる時はエスカレーター右側をかけのぼるか、かけおりたいのも現実。
日本語読めないから。日本も識字率低くなったもんだ…
率先して左側に乗って一切動じなければいいじゃない
指示に従っているだけなのだし
むしろ左側は空いているのだし
きちんと二列で順番待ちされるより
早く乗れてラッキーでしょ
ごちゃごちゃ言ってないで自分が乗ったらええやん
他人と横並びに乗るのが嫌だからです
左側に乗るのは利手の右手を空けておきたいので左手でベルトを持ちたいからです
それとギチギチに乗ると万が一先頭の人が上手く降りられず(お年寄りや子どもなど)後ろに倒れた時に大惨事になると思います
実際子どもが降り遅れたり降りた人が立ち止まったりして右に逃げ場があって助かったことが何度かあります
* * *
この程度の反応はまだ良い方で、建設的な意見だって見受けられます。
ちょっと前まではぎっちり乗ってましたね、というリアクションもしたくなります。
なんでこんなにいちいち心の中で呟いたりしているんだろうか、と考えると、都会の暮らしも結構面倒なんだなぁと思ったり。
しかし、こと、政治家がらみだったりすると、SNSの書き込みは阿鼻叫喚となってしまいます。

激戦といわれた杉並区長選挙の投票率ですら、わずかに42.54%である。有権者の半分も選挙権を行使しない。なぜなのか。民主主義を成り立たせる最低限のこととは、選挙権の行使である。「民主主義国家」が成立しない。なぜなのか。
国旗損壊罪なんぞを制定する前に、民主主義構成不履行罪を制定するべきではないのか。甘く見ているのか。根性がひん曲がっているのか。日本国憲法を馬鹿にしているのか。この国なんぞどうでも良いのか。