ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

印刷



 郵便代が値上がりして85円になった。もうそろそろ年賀状はこれっきりにいたしますと宣言する人達が増えてきた。挙げ句に毎年印刷していたガリ版印刷のシルクスクリーンがとうとう目詰まりするようになった。というようなことが重なってきたので、そろそろ年賀状もおしまいにするかなぁという気にもなってきた。

 
 近年は年賀状を送ってくれた人たちだけにこっちから送るようにしていたんだけれど、なんだか、せっかくこれまで手書きのガリ版だったのに、残念だなぁという気になった。そうかといって、ぱったりやめてしまうのもなんだなぁと思ったので、手書きを印刷するってのはどうだろうと思った。


 昔、印刷屋さんが出入りするような仕事をやっていた時に、気軽にその印刷屋さんに頼んだことがあって、あれはあれで良かった。しかし、今のようにどこにもツテがなくなってみると、どこに頼んだもんか見当がつかない。銀座の伊東屋で聞いたらとんでもないお金がかかることがわかった。そこで思い出したのがいつだったかテレビで宣伝していた「アスクル」で、あそこは安いってのが売りだといっていた。ネットで探してみると、単色のはがきだったら100部で2,800円くらい、時間も10日間くらいといっていた。それくらいだったらと試しに注文してみた。受注しましたというメールがやってきてから、なんの連絡もなくて、本当にできるのかと思ったら、本当に約束の日に宅急便で送られてきた。


 これではがきは一枚18円で印刷でき、郵便切手代が85円だから合計一枚送るのに、103円かかることになる。こうしてみると、切手85円はずいぶん高い。

 この写真をアップして、誤字を見つけた。


偲ぶ会

 きのう、FaceBookツイッターに、3月16日(日)に「渡辺勝を偲ぶ会」が吉祥寺のSTAR PINE’S CAFEで催されると書かれていた。多分、その業界の人達で一杯になるんだろう。映画監督の周防正行の名前があったのは、彼らが大学時代から親しかったというからわかるんだけれど、タブレット純の名前があったのは良くわからない。

 渡辺勝と口を聞いた最初は多分学校のサークルだろうけれど、最後はいつのことか思い出せない。池袋の小さなライブハウスだったような気がする。彼の40周年の武蔵野公会堂では、二次会に沢山の人が来ていた上に、彼は体調が悪いといって青い顔をしていたので、言葉をかわすこともなかったような記憶だ。
 学生時代からニコニコしながらも芯の強い雰囲気を振りまいていて、「ミーハーと一緒にしないでよ」風情だったような気がするけれど、その後の彼の人生や選択肢も、まさにその通りのようだったんだろうか。

 私はあまり突っ込んで人と付き合うのが好きではないから、偲ぶ会にも足を向けるつもりはないけれど、彼が私より先に他界するのはちょっと予想しなかった。そういえば、私の知り合いの中では彼らの代では、たぶん岡田徹に続いて二人目だろうか。




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 彼が歌う「〜とびだせ東京!」という歌詞の歌が好きだったけれど、歌のタイトルが思い出せない。


 そういえば岡林信康の良く知られた唄に「友よ」というのがある。新宿西口で良く歌われていた。「夜明けは近い!」とうたう歌だ。あれから、いくら待っても、もうとっくに半世紀は過ぎたのに、この国に夜明けは未だに来やしない。多分、日本国民は夜明けなんて待ってないんだろうな。夜の闇に紛れて、泡銭を掴もうと有象無象が跋扈しているんだろう。覚醒剤を接種させた証拠が見当たらないから完全犯罪が成立する世の中だしね。


昼飯に餃子を焼いた。皮はモランボンに限る。焼き手はうちのシェフ。

     



     

ブルゾン

日本橋川にかかる江戸橋


 今じゃ「ブルゾン」といったら5-6年前に流行ったお笑い芸人のこととしか理解されないだろうけれど、かつては合物のハーフコートの様なもののことをそう呼んでいたことがある。今ではそんなものまで大方羽毛のようなものが挟まったものになってしまっていて、これじゃ、ダウンジャケットと何ら変わらない。


 もういつからだったのか、全く思い出せないけれど、ダウンなんかが入っていない、そんな昔のブルゾンをいつまでも着ている。チャックはもう上げても自然に下りていっちゃうし、裾もめくれ上がっちゃっていてあんまり用を足していないんだけれど、何も捨てなくてもいいじゃないか、どうせ誰も見ていないといつまでも着ている。多分見て気がついた人がいたって、まさか「そのブルゾンは随分ヘタっていますねぇ」なんていう訳はない。あぁ、あの人はあれでいいんだなと思うだけだ。


 そんな状況から脱却しようかと思って探しに行くが、どこのどんなブランドに行っても、みんなダウンか、ダウンのようななにかが入っていて、ぷくぷくしたものばかりだ。きっと本当に洒落たブランドにいったら、そうでもないものがあるのかも知れないけれど、それはきっと未分不相応だったりするんだろう。


 ファッション・センター・しまむらにも、UNICLOにもGUにも、モンベルにも、そんなものはない。ワークマンにもないだろうか。

 無印良品オンラインには「ブルゾン」と称する、作業用ジャンパーのようなものが載っているけれど,どの色も在庫なしと表記されている。

床やはどこ?

 出かけようと家から出ると、二軒隣の集合住宅に、インド系と思しき中年の男女が出たり入ったりしている。なんだろうと見ていると、不思議そうな顔をして出てきた。何を探しているのかと聞いたら、床やを探しているんだというんだよね。なんでそんなところに首を突っ込んでいたのかといえば、その集合住宅は一階のカドに美容院があるからだった。そうか、通りかかりの観光客だったらなかなか見つけにくいだろうなぁ。「あなたはどこで刈っているのか?」と聞くんだが、まさか地下鉄に二駅乗った先でとはいえない。それにそこは火曜日は休みだ。近頃では月・火と連休にするところすらある。真っすぐ300mくらい行った先にあるからいってみたら?といったけれど、やっている保証はない。立派なインド訛の英語だった。

   

 さすがにこの本は地元の図書館にも隣の図書館にも登録されていない。なんでだろう。「地平社」だからなのかなぁ。近頃一冊で2千円ほどする本を買ったことがないので、やたら高く感じる。
 今月は雑誌以外で初めて買った本だ。こういう本を書く人は殆どいない。何しろもう戦友会そのものがない。非常に興味深い。


     

52年

浅草六区 月曜日 昼


 もうあれから52年である。あの頃は年々ベースアップがあって全く金なんてなかったけれど、黙ってあの職場で働いていさえすれば、きっとどうにかなるってわけだった。実際、結婚したときには本当にほぼ金がなかった。だから、年末ボーナスと12月給料日の直前に結婚した。そうすればとりあえず食いっぱぐれることはないだろうという読みである。住居費も社宅だったから格安だし、通勤も作業服のまま徒歩およそ15分だったから、職場と社宅を往復するだけならほとんど金もかからなかった。

 電子レンジも冷蔵庫もテレビも最新型が搬入されたわけだから、それまで暮らしていた独身寮生活から見たら、突然ハイレベルの二人暮らしになった。あの頃は本当に順風満帆だった。そこからどんな事が起きるのかなんて思っても見なかったものだ。仕事も今から考えると嘘のように忙しくって、まさに生産工場そのものの躍動感の中に日々暮らしていたからまさかその後の有為転変が待っているとは思っても見なかった。


二人でスーパーの二割引鮨でお祝いをした、感謝である。


おんなじ広告

 新聞におんなじスーパーのチラシが二枚入っていて、あれあれ、新聞屋さん、どうしちゃったんだろうねと思っていたら、とんでもない話で、KASUMI、Maruetsu、マックスバリュー関東を傘下に持つ、イオンの子会社であるユナイテッド・スーパー・マーケット・ホールディング(U.S.M.H.)に「いなげや」が合流する格好になったというわけで、うちの近所にあるいなげやマルエツがそれぞれチラシを出したってわけ。中身は全く一緒で、とにかくこの4店舗が仕入れを一括するっていうんだよね。どうするんだろう、中身が全く一緒になっちまうのかね?それ、つまらんよね?気に入っている商品、どうなるんだろう?





   

     

12月8日



そうそう、日本が宣戦布告もせず、真珠湾を攻撃した、そんな不名誉な日だった。
あの年は日本は月曜日で、ハワイィは日曜日だった。


真珠湾攻撃の総隊長だった淵田美津雄は後に自叙伝を書いている。
彼は戦後牧師となって、米国に布教にも出向いている。


一方、二人ずつ5隻の特殊潜航艇に乗り組んだ10人の海軍士官は米軍によって捉えられ、うちわずか一人が生き残って日本軍最初の捕虜となった。戦死した9人は本国で「九軍神」として称えられたけれど、当時の新聞もなんで中途半端な9人なのかについては言及しないし、皇国の臣民共も不思議に思っていなかったのかもしれないけれど、特殊潜航艇が二人の乗組員によって運行されていたことを知っている人たちは不思議に思ったはずだね。
 捕虜になったのは酒巻和男という少尉で、この人はハワイの捕虜収容所に収容されたらしいが、後に同じ収容所に収容された捕虜たちの目には随分と高飛車な人に映ったらしい。彼は戦後TOYOTAの社員となり、南米で支社長まで努めたことが知られている。


 

 宣教師の息子として小樽に生まれ、1935年に14歳でアメリカに帰国、21-2歳の頃に海軍少尉としてハワイに赴任し、日本人捕虜収容所長となったOtis Caryが書いた本で、この中にも酒巻和男に言及しているのではなかったかと思う。(もう詳細をよく覚えていないが)。


 日本人捕虜といえば、今では多くの日本人も知っているだろうけれど、豪州のニュー・サウス・ウェールズ州のカウラにあった捕虜収容所で起きた日本人捕虜の集団脱走事件を焚き付けた南忠男こと豊島一(とよしまはじめ)は1942年2月19日に登場した零戦が被弾してメルヴィル島に不時着、失神してつかまり、日本軍人として豪州軍の捕虜第一号となった。これは戦後もあんまり日本人には認識されていないけれど、日本軍は豪州北部の町、ダーウィンに60数回もの空爆、空襲を仕掛けている。


 あの戦争は日本国として正式に総括されることなく80年を経過してきてしまっているので、歴史として詳細な事実を知られていない。とても「歴史のある伝統豊かな」国というような形態を保ってはいないのである。

映画「ジョン・レノン 失われた週末」(原題:The Lost Weekend: A Love Story)

 WOWOWでやっていたのを途中から見ただけ。日本で公開されたのは今年の5月なんだそうで、そんなことすら知らなかった。チャイニーズのMay Pang (正式名:May Fung Yee Pang)を中心にした話。1950年生まれだってんだからもう74歳になるわけで、映画の最後に本人がJohn Lennonの息子のジュリアと歩くんだけれど、やれやれと思ってしまう。ジョン・レノンも結構いい加減なんだね。もう彼が死んでから44年も経ったわけで、ふと気がついたら、そうだ、きょうは彼の命日じゃないか。あの年、私はアフリカへの長期出張でNYCのいずれかの空港でトランジットしたことを思い出したよ。多分あれが私の初めてのNYCで、空港から外へは出ていない。


   
    

イチョウが今年はきれい


 今年は紅葉、黃葉についていうと、もうイチョウの独壇場でございますね。赤系、つまり紅葉でいうと、なんだか夏の暑さのせいなのか、いまいちくすんでいるような気がしてしょうがない。メタセコイヤもそうですが、桜や柿は良く楽しむ前にすでに葉っぱがなくなってしまったような気がするんでございますが、私がまめに歩いていなかったせいかもしれません。

 今朝は出かけようとしたら、気温が9℃だったので、慌ててダウンコートを着てでましたが、ちょっと早すぎたようですが、明日辺りからはガッツリ寒くなりそうです。


 バス停の前に来ると、背の高い若者が一人おりました。暫く経つとその青年が私のところへ来て、sorryといいながら鼻をかむ格好をしてtissue paperはないか?というんです。えっ! 普通驚きますよね、見ず知らずの人に、鼻紙ないかって聞きますかね?どこかでもらったポケッティッシュがあったからあげました。どういう感覚なんだろう?日本人は親切だから何でもいってみると良いとかいう話を聞いたんですかね?→「親切な日本人」


 上野の駅前を通る羽目になったんですが、いやはやものすごい人混みです。山下の桜の広場にはテントの出店がたくさん並んでいて、何やらんと思ったら「クリスマス・マーケット」だってんです。なんでも消化する日本ってすごいね。

不忍池キンクロハジロ軍団


 手塚治虫からの伝言(メッセージ)」全10冊のうちの6冊を隣の区の図書館から借りた。うち一冊は、そのまたむこうの区から借りだしたものだそうだ。










江成常夫

 NHKの「こころの時代」が江成常夫だった。「レンズで見つめた生と死の時」初回放送日:2020年3月29日(日)
未だ健在、88歳。あの人の喋りは良く聞き取れない。
 紫綬褒章を受けているという。「花嫁のアメリカ」は素晴らしい仕事だった。

   


    

寝てばかり


 参議院予算委員会NHKが総合チャンネルで終始中継をした。日本共産党の山添拓とれいわ新選組山本太郎の質問というか、追求を楽しみにしていたのに、私は途中から寝てしまって聞いていない。

 参議院インターネット審議中継で見ることができる。


www.webtv.sangiin.go.jp

 12月6日 参議院予算委員会

山添拓が企業・団体献金について、あるいは自民党キックバックについて追求する。石破茂は淡々と隙を見せないぞという風情でべらべら喋るが、よく聞いているととんでもないことをいっている。


 「何がソースかといえばしんぶん赤旗の記事で、じゃそれに言及したのは一体誰なのかと問うと、取材源はあかせないという」というのだけれど、それはもうすでに兵庫県知事の斎藤公彦の論理とまるで同じで、内部告発者を吊るし上げようとすることとその発想は変わらない。しんぶん赤旗は新聞であり、政党機関紙ではない。そのしんぶん赤旗が取材源を明かさないのは正当なる行為であって、正当なる権利でもある。石破茂の言い分はあたかもしんぶん赤旗の記事は十分恣意的なものであるといわんばかりである。



 そのうえ、企業・団体献金の9割は自民党に対するものであることを山添拓が指摘すると、だから何だ、といわんばかりの態度を石破茂は取った。透明化を図ってきた中で自民党有権者が支持しているのであるというんだけれど、その「透明化」が全く機能していないばかりか、これでは「ごまかされる有権者がバカなのだ」といっているようなものである。


 はたしてそうなのかね。ひょっとするとそうかも知れないが。


 自民党の、選挙屋連中がお互いを「先生」呼ばわりするのは気持ち悪いね。