ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

大丈夫なのか

f:id:nsw2072:20210309030045j:plain:w360:left 昨日電車の中で眠っていた30代前半とおぼしき青年がはいているのが、太もも部分や、臑の部分が大層汚れた作業ズボンだったから、現場が雨で早上がりになったんだと思った。
 ところが良く見ると、はいている靴もすっかり汚れていて、まるで一度どこかで泥まみれになったことがあるような汚れ方だった。それで、あれっ、と思った。ひょっとすると現場上がりじゃなくて、四六時中、この格好でいるんじゃないか。けれど、手にはスマホを持ったままだ。
 私如きの考えだったら、スマホを持っているのに、家が無い状態なのは考えられないけれど、そんなことはない。スマホを使いこなして生活していたんだけれど、この一年の間に、仕事を奪われ、生活拠点を奪われて、路上に出るしか方策がなくなってしまったのではないだろうか。今の不誠実を絵に描いたような社会のありようだったら、そういう状況に晒されてしまっている人たちの数は、ちょっとやそっとではなさそうだ。彼は斜めに布ザックをかけ、もうひとつ袋を脇に抱えている。これだけの荷物で、暮らしているんだろうか。ところが、これまでの典型的な家のない人に比べたら、明らかに大きく異なることがある。臭気がないのだ。昔良く出逢ったあの人たちの臭気がない。どこかで豆に身体を洗っているということだろうか。だとしたら、ただズボンと靴だけが着た切り雀なんだろうか。
 先日の初台のバス停で夜を徹して座って過ごしていた女性が殺された事件があったけれど、あれからこっち、もっともっと路上に追い出されてしまった人たちが増えているんじゃないだろうか。そんな状況に知らん顔をしながら、この国の国会は「個別の案件に」そして「仮定の問題に」コメントしないといって逃げる。

銀座

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 雨が降って寒い一日。最高気温は10℃に満たなかったかも知れない。今日は「国際婦人デー」なので、もう一回雨の中、蔵前神社のミモザを見に行った。なんと昨日に続く再訪である。昨日に比べたら神社を訪れる人の数は数えるほどだ。雨の中でミモザの花はどのように写真に写るんだろうかと興味津々だったのだけれど、全く何の変わりもないので、実にがっかりしてしまった。椿の葉のように、水滴がとどまるようなら、写真も面白いのだけれど、これでは全く面白くない。しかし、蔵前神社はミモザだけではなくて、なんという種類か、知らないけれど、桜が満開で、この雨で花びらがちらほらと散り始め、境内の玉砂利の上はピンクの絨毯と化そうとしている。

f:id:nsw2072:20210308220143j:plain:w360:left 大江戸線で、「勝どき」へ出る。ここから都バスで銀座四丁目まで出る。靴のマドラスの銀座の店というよりもショールームがシャッターが降りている。1月終わりから毎週月曜日は臨時休業にしているそうだ。和光のディスプレイがどうなっているのかを見たいな、と向こうの日産のショールームの屋根下に入って、カメラをとりだしていると、小学生の男の子が日産のショールームに出たり入ったりしている。入りたいらしい。するとお父さんが「入場料金無料なのか?」といっている。そういえばこのショールームには私は入ったことが一度も無い。興味が無いというのはこういうことだ。

f:id:nsw2072:20210308220236j:plain:w240:right 和光の前の地下鉄へ降りる階段小屋の前に小さな花束が立てかけてあった。はっはぁ〜、多分、ここにいつも立っていたあの托鉢僧に捧げたものならん。東京新聞の記事で知ったのだけれど、彼は、望月崇英という名前で、今年の1月18日にCOVID-19で66歳で他界したのだそうだ。私も何回か後ろから彼がかぶった大きな傘を写真にしたことがある。最初の頃は、なんでこんな目抜きにわざわざ立つんだろう、と胡散臭く思っていたが、亡くなってからは新聞に記事になっている。被災地でお経を上げたんだという。僧籍を持つ人だったわけではなさそうだけれど、人のためにお経を上げたと書いてある。この小さな花束のことをFacebookに書いたら、銀座の小さなライブハウスを営んでいるプロのカメラマンが知っていた人だと書いていた。

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2015年11月5日

 教文館で「月刊みすず」を置いていないかと聞いたら、毎年1/2月の合併号だけは置いているという。しかし、通常の「月刊みすず」を置いている店は少ないんじゃないか、という。そうかも知れない。そういいながら、今教文館の一階から二階へ上がる階段の踊り場はみすずの刊行物を特集している。みすずの本は読みたいが、とにかく高いので、こんなお爺さんには手が出ない。雑誌を三誌手にしたが、どれもお爺さん向けのものではなかった。文藝春秋が特別編集したムック「半藤一利の昭和史」と平凡新書の「歴史探偵忘れ残りの記」を入手する。

歴史探偵 忘れ残りの記 (文春新書)

歴史探偵 忘れ残りの記 (文春新書)

 銀座の街にも大きな波がやってきているそうで、それこそ時代の変わり目にいる。洋服の青山を多店舗展開する青山商事は全体の二割に当たる160店舗を閉鎖するそうで、銀座の店も完全閉店するといってセールをやっている。
 京橋の高速道路下にあったチョコレート屋さんのところにはフェンスになっていて、どうやら中は解体している。先日モンベルに行った時は京橋の方から入ってそのまま帰ってしまったので、気がつかなかったのだけれど、昨年の7月にとっくにお店は閉めていたのだそうだ。お金持ちの方々がおられるような地域でやっているそうだ。そういえばあの美々卯労働争議になっていたが、お店を閉めてからそれっきりだ。
 どうやら並木通りにビックリするようなブランド屋さんのビルが建ったそうだけれど、とんと縁がないので、見に行く気にもならなかった。
 都営地下鉄の宝町の駅に降りるエレベーターに乗ったら、あとから乗ってきたオジサン二人が大きな声で喋り続けるから「エレベーターの中では喋るの辞めて!」と顔も見ずにいってやった。「済みません」といって降りていった。

 私はAmazonでプライム契約をしている。これをやっているとkindle版を十冊落として手元に持っていることができる。その対象書籍の中に「独学大全」があるのを発見した!慌ててダウンロードした。なんといっても2,800円する本なので、なかなか手が出せないでいた。図書館で予約をしたら、「あなたの予約番号は50番」と出ていた。今でもまだ私の前に38人がいる。到底順番はなかなか回ってこない。電子書籍で読むのは後腐れが無くていい。

卒業式

f:id:nsw2072:20210308013115j:plain:w360:left 日曜日の夜、23時から一時間、TBSラジオ中村メイコ/石澤典夫が「文化の泉 ラジオで語る昭和のはなし」という番組をやっている。民間のラジオなんだから、当然コマーシャルが入るんだけれど、この二人だと、どうしてもNHKのラジオを聞いているような思いを自然に持ってしまう。不思議なものだ。
 概ね、毎週日曜日は(今更週末もなにもないのだけれど)このくらいの時間帯に、風呂に入ってラジオを聞いている。今日はこの番組で、「卒業式」の話をしていた。それで自分の卒業式はどうだったのかと想い出してみようとしたんだけれど、どれひとつも思い出せない。おぼろげながら、とか、そんな程度のものではなくて、全く思い出せない。まるっきりなのだ。
 小学校の卒業式は清水だった。中学の卒業式は大森だった。高校の卒業式は品川だった。大学の卒業式は池袋だった。全然記憶がない。わずかに覚えているのは、小学校の卒業式で各クラスの代表というのが卒業証書を代表して前に出ていって55人分を受け取るんだけれど、それがなんで自分じゃなかったのか、と思ったことだけだ。
 理由は多分、卒業式の前に判明してしまった入学試験落第、という結果だったのだろうと思う。某国立大学附属中学に落ち、滑り止めの某私立大学附属中学に進学することになった。高校への進学は、都立高校の第一志望に落ち、学区内合格者として、辛うじて全然知らなかった都立高校に進学。大学への進学は二校受験して連敗。予備校へ進学。つう訳で面白くない局面ばかりだったからだろう。じゃ、大学の卒業式はどうかというと、遊び暮らした学生時間に別れを告げるのが悲しかったのか、全く覚えていない。
 その代わり、企業勤めの卒業式は、イヤな話ばかりだったから、良く覚えている。いや、悲しいねぇ。
 人生の卒業式が近い。もうすぐそこだ。

どこ吹く風

f:id:nsw2072:20210307223204j:plain:w360:left 昨日の土曜日はとっても良い天気で、気温も20℃まで上がったんだけれど、今日は一変。どんより曇り空で、気温も10℃に達していなかったんじゃないかというくらい。それだのに、観光地には人が繰り出していて、若い女性たちはレンタル着物の着流し(女性でもそういうの?)で、見ている方が寒気がしてこようというのもでございますよ。
 ワンワンと人が繰り出しているだけじゃなくて、昼飯時の食べ物屋さんは、あっちもこっちも行列でございます。どら焼き屋さんも、メロンパン屋さんも、メンチカツ屋さんも人だかりでございます。これならきっと横浜の中華街も肉まん食べながら歩くお嬢さん方で一杯じゃないでしょうかねぇ。食べ物屋さんの経営者の友人は「週末くらい目をつぶって下さいよ、平日の悲惨な状態、知っているでしょ?」と泣いています。
 もう仰る通りで、平日は閑古鳥です。それでも呑み屋は午後浅いうちから赤ら顔がワァワァやっていますが、まともなお店は、平日はとても大変なので、3月一杯お休み、といっているところもあります。近所の有名寿司店は閉まったままです。そうそう、ガールズ・バーは軒並みお休みですね。ほとんどが夜中の商売でしたからねぇ。ガールズ・バーがお好みの知人がいるんですが、どうしていますかねぇ。
 日本の政府はとにかくオリンピックにしか目が向いていませんから、下々のお店のことなんて、知ったこっちゃありません。

 ちょっと離れた隣の地域の神社の寒桜とミモザが盛りを迎えております。ご立派!

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天一

f:id:nsw2072:20210306185320j:plain:w360:right もうCOVID-19が蔓延してから一度も銀座の西半分には足を踏み入れていないから、「GINZA-6」の中は店がいなくなってガラガラだという噂を確かめたこともない。あそこはかつて松坂屋銀座店が建っていた。ここにも何度も書いているけれど、その地下にはいくつかのダイニング・インがあった。一番の狙い目はすき焼き重が安く食べられる名古屋のスギモトなんだけれど、あそこは列ができていない時はほとんど無いので、5-6回しか食べた記憶がない。ちゃんと生卵がついてくる。

f:id:nsw2072:20210306184415j:plain:w360:left 一番良く入ったのは、天一だった。天丼(松)と赤だし。あれは美味しかった。初めて食べたのは15年前だったようだが、度胸がなくて(竹)を頼んでいることが、このブログをさかのぼるとわかる。本当は天一はご馳走天麩羅屋さんで、とても私如きが上がれるような店ではなかったらしい。しかも、ここの創業者は岡山・総社出身なんだと、かつて、私がここに書いている。

f:id:nsw2072:20210306205930j:plain:w360:right もう一軒はトンカツ屋があったのだけれど、ここで私はヒレカツ丼しか食べなかった。今でもコレド室町の寿々木ではヒレカツ丼しか食べない。それでも、昼時を外した午後に入ると、いい歳をしたおばさんというか、お婆さんがガッツリとカツカレーなんぞを食べているのを見ては、度肝を抜かれた気持ちだった。長生きをする人はがっつり食べるんだなぁといたく感心したものだ。ところがあのトンカツ屋の名前が思い出せない。今時はこんなことだって、ちゃんとインターネットで調べ出すことができる。そうだ!乾山だ!この店も天一と同じように、イートインを上野の松坂屋の地下に出していたことがあったのだけれど、今では完全に撤退してしまって、ここには井泉が店を出している。もうどんなに調べても乾山というトンカツ屋は見つからない。
 そういえば井泉のとんかつを初めて食べたのは、日比谷の東宝映画街の傍のビル(三信ビルだっただろうか)に出していた店で買ったカツサンドだったかも知れない。初めて食べた時は旨いことに驚いた。あれ?あれはまい泉だったかな。
 まい泉は、20年ほど前に高校のクラス会を開いた。一緒に幹事をしてくれた同級生がまい泉の青山の店だったら顔が利くからといって、あそこでクラス会をやった。複雑な作りのお店で、のちに、元新入社員の時の上司が連れて行ってくれて説明してくれたところに依ると、奥の高い天井のところは、もとは銭湯の建物だったと聞いた。ここはとても有名で、かまやつひろしを見たとか、エリック・クラプトンは日本に来ると必ず行くから見ることが多いとか聞いたことがある。しかし、私は実際には見たことがない。あそこももう20年行ったことがない。
 もうあと何年も生きるわけではないので、好きなものを食べておきたいと思うんだけれど、なにを食べたら良いのか、とんと思いつかない。

鎌倉

 中学二年の時の同級生が鎌倉に住んでいて、写真をブログにアップしてくれている。なので、もう何十年も鎌倉に行っていないのに、鎌倉から大船あたりの雰囲気がわかる。多分まともに最後に鎌倉に行ったのは、1971年の初めだっただろうか。とにかくまだ寒い頃で、鎌倉の海岸までバスで出た記憶がある。江ノ島を見ながら海岸を歩いた。帰りはバスでまた鎌倉へ戻った。しかし、覚えているのはそれだけだ。どこかでご飯を食べたとか、なにか、甘いものを食べたとか、そんな記憶が全くない。
f:id:nsw2072:20210305144049j:plain:w360:left 最初の鎌倉の思い出は、結構幼い頃のことで、多分学校に上がる前だったかも知れない。オヤジの職場の同僚が二人、鎌倉に住んでいる人がいて(鎌倉から鶴見まで通っていたわけだからご苦労様なことだったわけだ)、夏休みに母と姉二人の四人で遊びに行った。子どもたちだけでそのうちの高橋さんというお宅に泊まらせて戴いた。もう一人の逢坂さんのお宅は随分広い庭があって、池があって、なぜかアヒルを飼っておられたのを覚えている。逢坂さんのオジサンは酔っ払うと子どもをギュ〜ッと抱きしめるので、酒臭い上に痛くて、閉口した。そのオジサンは大変な蔵書家で、私は彼の影響を随分と受けているような気がするのだが、とにかく毎月、新刊書を本屋から取り寄せていた。私が結婚した時には大きなウェブスターの辞書を下さった。今でも書棚に鎮座している。
 高橋さんのお宅には釣瓶のついた井戸があって、材木座海岸から帰ってくると、そこで冷やしたスイカをご馳走になった。それがまた実に美味しかった。
 そんな記憶があるせいか、学生時代に鎌倉在住の人がいると、妙に親しみを感じていた。浪人中に通った予備校に鎌倉から通ってくる女学生がいた記憶があるが、あの人はどこに進学したんだろうか。そういえば、あの予備校のクラスには、東北から出てきた元気の良い女学生や、二浪で藝大の邦楽を目指すお姉さんなんぞもいた。しかし、男の浪人同級生は川崎から通ってきていた人しか覚えていない。面目躍如である。

スマホ

f:id:nsw2072:20210305033320j:plain:w240:left ようやくつれあいのスマホが到着したんだが、なにしろ彼女にとっては初アップルなので、設定が旨く進行しない。私はデスクトップからラップトップからタブレットから全部アップルだったので、ガラケーからスマホに移行するにしても、デスクトップの方からいろいろできたので良かったのだけれど、彼女の場合は単独で、ガラケーから移行するわけだから、いざという時に頼りになるものがない。
 初めてゼロからの設定をやっているんだけれど、なかなか巧く行かない。なんか、マニュアル持ってこないとダメかな。
 結局一眠りしてから、夜中に起き出して、あぁでもない、こうでもないとやってみたんだが、結論はiCloudのパスワードが巧くあっていなかっただけだった。午前3時頃に開通。データーを移行するのはどうするのかがわからない。それまでのメールはガラケーからそのまま移行されないのかな。

追記

 どうしてもガラケーからスマホへの移行が行われないので、とうとう待たされることを承知の上でドコモに案内電話をした。SIMを装着したか?といわれ、したというと、ではこの4桁の番号にスマホから電話しろという。すると、録音案内が、応答をして「はい、開通しました!」という。それでガラケーは「圏外表示」となり、スマホが動いた。で、オペレーターの人に、「この4桁へ電話するというのはどこに書いてあるのか?」と聞くと、驚くべきことに「それはどこにも書いてない」という。じゃ、みんなどうしているの?と聞くと、「みんなここへ電話をしてくる」というのだ!え〜〜っ!!昨日の徹夜はどうしてくれるのか!どうにもしてくれない。これでようやく彼女のスマホは動き出したけれど、過去のメールも、写真も全部救い出せなかった。惜しかったのは写真だ。247枚入ったまま。

参考までに発見した「docomo online shopのサイト」
商品到着後の設定・開通(利用開始の手続き)
(2)機種変更や新規契約で購入した場合
1.購入した機種の電源を入れてください。
2.購入した機種から開通専用の電話番号へお電話(発信)してください。
切替専用ダイヤル
携帯電話から(局番なし)1580(通話料無料)
購入した機種以外からはつながりません。
受付時間 24時間
システムメンテナンス時間を除く
お手続きに必要なもの ネットワーク暗証番号(今回お手続きいただいた電話回線のもの)・新しいSIMカードを挿入した機種