ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

住みやすさ

 「住みやすいですか?」って聞かれたらなんて応えるだろう。いや、住みやすいですよ、だって、歩ける範囲にスーパーマーケットが少なくとも4軒あるし、ちょっと足を伸ばせばあと2軒あるでしょ、それに病院だって、大きなところはバスに乗れば3-4軒はあるし、バスは夜の9時くらいまでは15分に一本は走っている。地下鉄だって、1km位歩いて貰えば4本走っている。バスだけで行こうと思えば一時間くらいはかかるけれど、池袋だって、銀座だって行ける。


 でも、住んでいる建物はコンクリの塊だ。庭なんてない。そのうち、高い建物が後1-2軒建ったら昼間のお陽様はかなり制限されるようになるかも知れない。空気が旨いとは思ったことはない。満天の星が見えたことはない。土の匂いとか、冬が近づいている匂いなんて久しく鼻先によみがえったことはない。そもそも雨の音が聞こえない。その代わり町の警報音は容赦なく上がってくる。管理組合の関わりが面倒だ。


 世の中はそうそう巧くは運ばないような具合になっている。金に糸目を付けない境遇にならなくては解決しないか。それはもう全くありえない。

 田舎暮らしをお楽しみになりたい方はせめて50代くらいまでに始めて、その後のことを考えた方が良いと思うなぁ。

散歩

f:id:nsw2072:20190322161817j:plain:w360:left 昼頃目を覚ました。多分今朝寝たのは朝6時頃だったか。イチローの会見からいろいろあっちこちひっくり返していた。

つれあいは友達の歌曲発表会にいった。私たちの会についてつい口を滑らせて私の怒りを買った、その会だ。だから、事前に何もいわなかった。書き置きがあった。いつものような走り書きではなくて、きちんと行をそろえてあった。後ろめたいんだったらちゃんと謝れば良いのにと思った。

 バンドのベース担当がぜんそくがひどいといって昨日の練習を休んだ。大丈夫かとメールを送ったが返事がない。心配だ。

 それじゃと、歩きに出る。テレビで「さくらが開花」というからどれほどだろうかと、隣のお寺さんを見ると、いやいや、それほどじゃない。一番日だまりになるところに立っている桜は種類が染井吉野ではないのか、かなり咲いている。しかし、染井吉野はまだまだ先端がちら、ほらという程度でしかない。


 街の裏通りを歩いていても、近頃は外国人観光客がこんなところまで来るものだから、珍しそうに先端に咲いたさくらを撮影している。もうちょっと我慢しないとね、と声をかけたら嬉しそうにしていた。もう最近は外国人だと思ったら躊躇なく英語で喋ってしまう。それが通じない人には残念ながら私はコミュニケイトする術を持っていないからしょうがない。


 新しい靴を降ろしたら、これはやっぱりまだ硬いので、つかれる。ちょっと離れたところにある商店街のお総菜屋にいって、鰺フライを夕飯用に買い、蕎麦屋によってたぐってきた。

酔っ払い

 あの厚生労働省の役人は、なんでこんな時期に何日も仕事から離れて東南アジアをひとりでフラフラやっていたんだろう。で、挙げ句の果てに、泥酔といっても良いほど酔っ払っていたんだろうか。時々飛行機の中で酔っ払っている乗客がいたりはするけれど、彼は搭乗ゲート前で既にぐでんぐでんである。
 それにしても韓国の公安はどうして彼を逮捕しなかったのだろうか。まるで保護でもしたかのようではないか。特に東南アジアへ行くと、日頃になく上から目線になってしまう日本人は日常茶飯事にいたけれど、今でもこんな状態なのだとは驚いた。
追伸:こいつはこの2日前にも空港にぐでんぐでんで現れて日本航空に搭乗を断られていたのだそうだ。こいつについては何か裏があるに違いない。

引退

 イチローが引退しました。MLBで19年間もプレイした日本人は彼を置いておりません。いやぁ、凄い。これで安倍晋三国民栄誉賞だといって、しゃしゃり出てくるだろうと思うとそれだけがいやです。
 もう彼のクリーンヒットだとか、これでもヒットになっちゃうのか!ってのが見られないのは結構残念なことでございますが、もう良いでしょ、ホント。これ以上、打てないイチローを見るのは辛い。
 これからは彼もいうように、菊池と大谷、そしてマー君で楽しみましょう。ダルビッシュはどうなんだろう。イチローが面白いことを言っていました。大谷が同じ二刀流でも、今年は打者、翌年は投手とやって、打者の年はホームランを50本打ち、ホームラン王とMVPを、投手の年は20勝してサイ・ヤング賞を取ってしまうというそういうやり方はどうよ!というんです。あ、なるほど、それ、面白いよ。
 最後に、アメリカに来て初めて外国人になった、その点での孤独感というものは本を読んだり、人から聞いてもわからない、体験しなくては理解が及ばないといいました。
 これは非常に含蓄のある言葉で、この感想が私が今まで覚えてきた感覚に大きく重なっている。多くの日本人の若者たちに、どんどん外へ出ていって欲しいと願っているのはここにある。しかし、今の日本からはなかなかそういう機運が生まれてこなかった。しかし、この国の変化がしょうがなく若者たちに仕事を求めて日本を出ていかざるを得ないような環境を作りつつあることはその本意ではない。ないけれど、そうなってしまうのかも知れないということをとても危惧している。
 実はイチローの会見というのは、これまでもインタビューなんかでも聞き慣れた感覚だけれど、彼はなんの意識もしてないんだろうけれど、なんか哲学者然としていて、あんまり面白くはないんだなぁ。でも、今はともかく、28年間の仕事を終えたんだから、ま、良いんじゃないの?草野球をやっても真面目に取り組んじゃうんだろうなといっていたけれど、若者は喜ぶだろうな。

じいちゃん

 父方の祖父という人は岡山の片田舎の農家だったのだけれど、随分早くなくなったらしくて、全く知らない。父親のアルバムにも、早死にしたという祖母の写真は残っていたけれど、祖父の写真も、兄の写真も残っていない。その辺になんかあるんだろうという気がする。
 母方は祖父も祖母もしっかり覚えているんだけれど、それぞれの葬式のことを全く覚えていない。それはどうしてなんだろう。母の実家には母の妹が婿養子旦那とひとり息子と全部で5人で暮らしていた。だから、祖父にとっては全部で4人しかいない孫でありながら、遠くに暮らしている3人がやってくるのが嬉しかったらしく、夜行急行列車の「瀬戸」に一晩揺られて遊びに行くと、しきりに歓待をしてくれた。その歓待というのは、まず最初に目の前にある食堂にうどんの出前を取りに行くことだった。あれは多分岡山に到着するのが午前11時過ぎだったようで、吉備線で吉備津までいくんだからもう昼は過ぎていたんだろう。兎に角「ようきたなぁ、じゃ、うどんを頼んでこよう!」といって出ていった。なんでうどんだったのか、未だに謎は解けない。それから、本物か、誰かに作らせたものか知らないが、どこかから、巻物を取りだして「これがうちの系図じゃ!こういう人がおったそうじゃから、鎌倉へ行って調べてみてくれい」といっていたのを思い出すが、それが誰のことだったのか、全くわからない。もうあの実家もたったひとりの孫だった私の従兄が1995年に急逝してから、多分もう誰もわからないだろう。
 近頃朝起きて鏡に向かうと、あの爺ちゃんに似てきた気がする。小さい、丸顔のほとんど頭に毛のない顔でしわがれ声だった。私が似ていないのは、声だけだ。私の声は誰から授かったものだろう、とんと見当がつかない。こっちの爺ちゃんも、婆ちゃんもまだ声を想い出すことが出来る。

方言

 確かに一人称を表す表現、二人称を表す表現というのはところ、お国で様々で、不思議なものだ。
一人称では「自分」といういい方を初めて知ったのは20歳頃、ツアーを開催するスキー場の視察に行った時に、新潟上越のスキー場の方が「自分は」と言い出した時だった。実はこの時はこの方が元自衛隊員だったと聞いていたので、それでそう表現する癖がついているんだろうと思っていた。ところがそうではなくて、その後様々な場面でそのように一人称を使う人に出会うことになった。
 二人称の表現に「われ」を使うことを知ったのは、小学校4年二学期のことだ。横浜から清水に転校したまさにその日、下校途中で遭遇した転校先のガキ大将らしき男子に「われん、どこん組だぁ」と聞かれた時だった。一人称で使うとしか知らなかった私は、突然「われ」を二人称に使われ、面食らった。しかし、この地域では普通にそう使うことがわかった。一人称によく使われるのは「おら」だった。自分の家のことを「おらんちうち」と表現した。
 あの地域では、兄弟のことを「舎弟」という。自分の兄弟のことは「おらん舎弟」という。最初それを聴いた時はその相手はヤクザなんじゃないかと思った。

都バス

f:id:nsw2072:20190320172952j:plain:w360:left 昨日は外国にいっている若い友人が一時帰国したというので、いつもの友達連中が集まって、仲間の夫婦がやっているマグロ屋さんでパーティだった。
 都バス二本を乗り継いでいけばシルバーパスで行かれる。途中の停留所で2-3人の人が乗ってきたと思ったが、バスが出ない。時間待ちかなと思ったら、そうじゃない。爺さんがひとり乗ってきた。しかし、この爺さん乗ってきたと思ったら、そこでやおらポケットから財布を取り出し、シルバーパスを取りだした。バスの運転手は、しばらく待って、爺さんが手摺りにつかまったところで走り出した。「お捉まり下さい」といいながら。するとその爺さんがやおら「座ってもいないのに、走り出すんじゃない!ばかやろう」といった。信号が赤で止まったら後ろにいって座った。座ってからも「都バスは都民の税金で走ってんだ、ばかやろう」ともいった。いいすぎだなと思った。こういうのは爺さんに良くあるパターンで、別に驚きゃしないけれど。
 そのバスにそれぞれが乳母車を横に置いた若いお母さんがふたり乗っていた。これはなかなか大変だなぁと思っていた。私が降りる終点で、彼女たちは降りた。「お手伝いしましょうか?」と声をかけたら案の定「結構です!」ときっぱり。それぞれが苦労しながら降ろした。もうひとり手伝いがいれば片方ずつ持てば良いから楽なはず。さっきの爺さんじゃないけれど、日本では手伝って貰うのもおっかないんだろう。ましてや得体の知れない爺さんだもの。これが若者が声をかけたのだったらどうだっただろう。
 日本では、他人に対する気配りは、される方もする方ももはや慣れていなくなっちゃって、ぎこちない。