ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

天気もよいのに


気温も高くなり、天気も良いのに、とうとう一歩も家から出なかった。
外は驚くほどの強風で、荒川にかかる高速道の橋の上ではトレーラトラックがひっくり返ったと聞いた。

どうも最近一週間に一日くらいこういうサボりの日ができてしまうようになった。
だんだん体力が衰えてきているのを感じる。
そろそろやり残していることにけじめを付けねばならない。

テレビの大谷騒動には、この私ですらそろそろ鼻についてきた。
お腹いっぱいである。

改題

東京ローズ」を書いたドウス昌代の著作で1979年に講談社から出版されている。
しかし、元はといえば雑誌「現代」に5回にわたって連載されたものを再取材、再編集して出版したと、あとがきに書いてある。副題に「国策慰安婦をめぐる占領下秘史」とあるようにRAAと敗戦直後の対占領軍対策について書かれたものである。私がRAAについて初めて聞いたのがこれだったのかも知れない。ドウス昌代について初めて知ったのは「東京ローズ」であったがそれも文庫になってからの話だ。
 この本はその後1985年に講談社から加筆されて文庫化されるに至って、タイトルを「マッカーサーの二つの帽子 - 特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面」と改題された。どこかで「ドウス昌代の”敗者の贈り物”」と書かれたものを読んだ時に、私は一瞬焦ったのだ。ドウス昌代についてはすべての著書を読んだはずで、「東京ローズ」に続いての二作目であるはずの本書を私はこれまで知らずに来たのかと思ったのだ。
 隣の区の図書館から「敗者の贈り物」の初版本を借り出してみると、全く見たこともない表紙で自分にとっての新たな発見なのかと思ったほどだった。



 私の手元にある文庫本はご覧のように「マッカーサーの二つの帽子」というタイトルになっているけれど、Amazonで引いている文庫本のタイトルはそのまま「敗者の贈り物」となっていて、これが誤解を招く大きな原因になっている。なんでこんな事が起きているんだろう。






 最も新しいRAAに関する出版はちくま新書から出ているものだろうか。
 2022年の出版。著者は元NHK

22℃


まだ3月半ばなのに、今日の東京は22℃まで気温が上がったといっている。
明日もまた20℃位になるといっている。
それでもソメイヨシノはまだ花を開かない。
今咲いているのはほぼ大寒桜じゃないだろうか。満開だよ。
小さな花だと、スノウドロップも咲いちゃったし、次から次に咲き始める。
ハクモクレンもうちの近所ではもはや満開で、気の早いやつは散り始めている。

どうも四六時中眠いような気がすると思ったら、「春」だからだよねぇ。

銀行窓口

ようやく予約の日時になって銀行へいった。
受付のお姉さんにこれこれこういう用事だといったら、なんと「バンクカード」を要求されてそのまま持っていってしまった。多分個人を特定する作業なんだろうと思うけれど、クレジットカードと一体になったバンクカードをそのまま持っていってしまうのはいかがなプロセスかと思う。
 そこから先も、通帳を出したらそれも一緒に持っていってしまうなど、うなづけない行為の連続だった。だったらその場で言うべきだと思うけれど、目で追い続けるのにはちょっと苦労した。
銀行はもはや個人客や小規模法人客をほぼ相手にしていないといっても良くて、多分こういう層はネットバンキングに早く移行しろと思っているんだろうけれど、爺婆は当然ながらやらないと断言してもいいだろう。ということはどこへ行くのかといえば、タンス貯金へ移行していくのだろうと思う。これぞまさに特殊詐欺の思う壺である。つまり営利企業である銀行が利益の効率化を図る結果、特殊詐欺がより蔓延するというわけだ。

遊びに来るには安いよぉ〜!

地元の民族衣装を着て街を歩く そんな観光地は日本以外に聞いたことがない


 山口敬之を「クソ野郎」と表現したのは名誉毀損に当たるとして訴訟を起こしたそうだけれど、訴えられた「れいわ新選組」の大石議員に対して裁判所は「名誉毀損に当たらない」と判断したんだそうだ。どういうことかというと、彼はまさに「クソ野郎」だと公に認められたということになるわけだね。
 もしこれが名誉毀損に当たるとしたら、世の中大騒ぎになったことだろうな。


 本を返しに行って散歩の終盤に近くへ帰ってくると数年逢っていない地元の知り合いとばったりあった。この間にまた引っ越しをしたそうで、実家をひとりで閉じこもっていた弟が酔っ払って二階から落ちて頭蓋骨骨折して死に、10日後に発見されたんだそうだ。ずいぶん変わっている弟で、随分前に精神を病んでしまい、やっぱりここ何年か前に亡くなったおふくろと実家の二階でお互いに接触せずに暮らしていたんだそうだ。それにしても何をきっかけに死んでいるところを見つけたんだろうか。

 ユーロの対円レートは160円を超え、スイスフランに至っては170円を超えたそうだ。日本はずんずん沈んでいく。これでも日本の有権者は自民脱税党に投票するんだろうか。

NHK


 二軒の図書館に返却本を返して帰ってきて疲れた。風が強く、西に向かって歩くともろ向かい風である。


近所のスーパーでワンプレートの冷凍飯を390円で買ってきた。「五目ご飯と鶏と野菜の黒酢あん」である。冷凍庫は一杯で入らないからすぐ食べるしかない。そこそこなんだけれど、野菜といっても芋とナス、いんげんブロッコリー程度である。小さな鶏の唐揚げはたった3個。ま、そんなもんだよね。この値段なんだから。案の定足りなかったので、パンを食べる。


 気がついたら参議院予算委員会NHKが中継していた。それでも17時になったらガチャンと大相撲に切り替えた。それでテレビ中継から外れたのはれいわの山本太郎だった。「コミュニティを守る!」という言質を岸田脱税文雄から引き出しておいて、実際には被災地ではろくな補償金がでなくて、コミュニティは壊れるに任せた状態になっていることを山本太郎は切々と訴えたが、委員長の民主党を裏切って自民脱税党に寝返った櫻井充は岸田脱税文雄の答弁を「時間が来た」といってぶった切った。テレビに映らないから平然とぶった切った。そういう男だ、あいつは。私はネットで参議院インターネット中継で見ていた。


 NHKバタフライ・エフェクトが「イスラエル」を特集していて、その中に、私達が子どもの頃踊っていたフォークダンスの「マイム、マイム」が出てきた。マイムは水を意味し、ベッサソは良いを意味するというのである。つまりわたしたちは中学生にしてすでにヘブライ語を叫び合う仲間だったわけで、「キブツ」を疑似体験していたのである・・・というのは大げさだけれど、驚いたのだった。


 雨が降るぞ降るぞと天気予報が脅かす上に気温全く上がらず、終日家に籠もる。またかよ。

 食堂の「じゅらく」はもはや上野でも見る影もなく、浅草新仲見世店は健在なるも、もはや外国人観光客がその客の大半を占めるに至っておるけれど、元はといえば神田須田町に開いた食堂だったそうだ。
「マリリンモンロー」そっくりさんが「ジュラクに来てねぇ〜!」と温泉宿の宣伝をしていた頃が最盛期だったのかなぁ。

 そういえば「三平」ってのも新宿の戦後の象徴みたいな食堂だったなぁ。今でも残っているんじゃないだろうか。その流れの三平ストアも浅草には残っている。今どき珍しく、デジタル支払い絶無、ポイント絶無の現金払い。それでいて別に安いわけでもなく、LIFEやOKの方が安かったりするんだけれど、何故かいつまでも続いている。魚部門も昔は寿司も安くてよかったんだけれど、出入り業者が変わったらしくて、別に特に取り上げるほどは安くもなんともない。あれでこの激戦区で平然と生き残っているのが不思議だ。

 かつて大柄な人が着るものに困ったら墨田区国技館界隈に買いに行ったらしいが、浅草にも「チドリや」という大判サイズ洋装店があった。ついこの前廃業してここもドラッグストアになった。界隈はドラッグストアだらけになってしまい、よっぽどこの界隈は病人ばかりなのかと思うけれど、実はこれもみんな外国人観光客相手の商売みたいだ。
 外国人観光客相手といえば、近所のおにぎり屋に外国人の行列ができるのが日常の景色になった。おにぎりなんてよくもまぁ外国人が食べるよな?その隣の大学芋屋の行列には流石に外国人はいないけれど、それも時間の問題かも知れない。あれだって気がついてしまったら外国人に取り込まれてしまいそうだよ。昔は外国人は鯛焼きなんかに目もくれなかったのに今じゃ食べているのを見るからね。

 もうそろそろ、最期の冥土の土産旅行を計画するべき時期かもしれないなぁ。



 ところでその「塊」なんだが、いわゆる「団塊の世代」の始まりは1947年生であって、それまでの年次とは明確に異なっている。そもそも1947年生まれは約2,679,000人といわれている。1952年生まれまでは200万人を超えている。しかし、1946年に生まれた人数は1,576,000人にすぎない。
 1947年に生まれた連中が高校に入ったときには文部省の第2回指導要領全面改訂は基礎学力の充実・科学技術教育の向上を謳って大きく様変わりした。これで1946年以前に生まれた高校生は大学受験浪人をしづらくなった。入試の中身が変わってくることが予想されたからだ。これもあとを推すことになって「団塊の世代」はますます目立つことになった。