ほぼ足りてまだ欲 その先

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訃報

 かつての職場のわずか7歳年上の先輩が病気の挙げ句になくなったと当時の同僚から連絡が来た。ただそれだけの連絡だから、どんな病気でどれくらいの期間病気療養をされていたのかはわからない。

 私が会社に入れてもらった当初、私は静岡県の工場に配属された。そこから輸出する製品の輸出許可を取得するのは東京の役割だけれど、実際にいざ発送するときにかねて得ていた許可の訂正が発生したときにその手続きをするのは工場の役割だった。初めて私がその手続きのために上京したときに、役所の担当部局を紹介して歩いてくださったのが、その先輩だった。その日、役所は私たちが作った書類の細かいところの指標が違うと指摘し、その再提出を求めてきた。今だったらばしゃばしゃと書類を作り直してすぐに出すことはいくらでも可能だけれども、当時はタイプの打ち直しをお願いして、作り直して出さなくてはならないからすぐには終わらない。
 実家に一泊することになった。翌日また東京の事務所に出て、書類の作り直しをお願いして、それを午後3時までに提出しなくてはならない。じゃ、今日はもうこれで終わりだ、となった時にその先輩は私を神田の駅の、当時ガード下にずらずらと並んでいた立ち呑みの店の一軒に連れて行ってくれた。小さな皿にのったコップになみなみと酒がつがれ、溢れて小皿にこぼれて供される。こうしたところで日本酒を飲むのは初めてだった。学生の時はそんな風に酒を呑む余裕もなかった。サラリーマンになった、という気がしたものだ。
 彼はその後、英国勤務もした。帰国後は西の方の工場に配置された。その度毎に私は仕事でお世話になった。イヤミを言うことなく、いつもニコニコして、私たち後輩を見守って下さった。
 あまりにも早すぎる訃報であった。