ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

営利企業とボランティア

ボランティア活動のことについて前にこんなことを書いたこと
がある。

営利企業が経営する福祉関連施設(例えばデーサービス)なん
かでボランティアを募るのは無賃労働者を集めようとしている
と云うことなんじゃないのか、というものである。
つまり、労働の搾取だと。
これをあるヘルパーの人たちが集う結構まともな掲示板にぶつ
けてみた。
するとそれに対するレスポンスがついた。
株式会社が経営するデイサービスで働いている女性の職員である。

「利用者のみなさんと、楽しくお話してくれたり、歌を一緒に
歌ってくれたり、あくまでも利用者さんが楽しめる。決して自
分たちの業務を肩代わりしてもらう為ではない。」
「本来、利用者さんを楽しませるのは私達の仕事ですが、私達
だけで関わるより、閉ざされた施設の中で、何をしているか分
からないデイ(サービス)より、いろんな人が出入りする、いろん
な風の吹き込むデイの方が、利用者さんにはいいと思うのです。」
「またその方が、地域の人達も安心すると思います。」

とても説得力のある話だ。
つまり、利用者にとってはその施設に所属している職員という
固定したスタッフだけでなくて、バリエーションのある人たち
の力を借りて利用者に対して提供していく方が意味があるとい
うわけであるし、地域との交流があることが地域、施設、利用
者の相互理解につながるという考え方である。



よくわかる。

だけど、待てよ・・・。それでもやっぱり、この施設を経営し
ている営利企業はこの施設を経営していくことで利益を生み出
し、これを株主に配分していくことがその役割の重要な部分の
ひとつなのである。だとするとやはり様々なバリエーションを
提供するスタッフを揃えるという点では、その担い手をボラン
ティアに求めると云うことを正当化できる論理とはならないは
ずだ。
そうではない、それをメインの目標にはおいていないんだ、と
いうのであれば、何ゆえその活動を【非営利】の形で提供しよ
うとしないのか?

このレスをつけてくれた人はこうも云う。

「現場ではボランティアに頼まなくて済むならその方がよい。
ボランティアを導入することには手間がかかる。」

こうした役割を施設職員以外に求めようとするのであれば、こ
れが非営利で活動している施設であるならばもちろんその理念
を理解し、それに賛同して手を貸してくれる人たちのボランタ
リズムに基づいたものを最大限に受け入れていくのはもちろん
よくわかる。

しかし、営利であるならば、喜んでこの種の人たちに対価を支
払っていって欲しい。
それでは成り立たないのだとするのならば、現在のシステムが
営利企業の参入には適していない、ということであるし、この
ままの状態で民間企業に参入しろと云っている「行政のミスリ
ード」なんだと云うことが可能となる。