ほぼ足りてまだ欲 その先

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初めての城

 姫路城にはじめていった。昔から山陽本線の姫路駅にさしかかるとはるかにその白い一軒華奢な城を望むことができた。なんだか子どもの頃にやけに白鷺、白鷺と云われた気がしたものだなぁという記憶があったが、昭和の大改装というのは東京オリンピック前に行われていたことを知った。つまり当時それが喧伝されていたので、子ども心に白鷺城が刻みつけられていたのであろう。駐車場の奥半分には大量な車が隙間もなく止まっていて、しかもその中に多くの人たちが座っているのが見えた。イベントがあるそうで、多くの夜店が出ていて、その人達の車であった。
 大手門から入って徐々にその天守閣に近づく。その度ごとに顔を替える白鷺城である。今ではとても考えられないほどの立派な柱の骨組みは日頃見上げることのない私の目線を上向かせる。おかげで頸椎が痛いことに気づかされる。世界遺産であるだけに全国各地から、そしてまた海外から見学に訪れる人たちは引きも切らない。天守閣のてっぺんにまで登り詰めるとその景色は雄大である。どうしても壮大な気持ちに駆られる。天下を収めてこの景色を堪能する気持ちはいかがなものであったのだろうか。その瞬間から狙われることに対する警戒心は大きくふくれあがるのであろう。つまり、常にトップを走ると云うことは常に寝首をかかれることに対する警戒に全力を費やすと云うことになるのではないのか。その時々の城主となり、ゆっくりと自らの権力を手放しで祝うことのできたものはいったい何人いたというのであろうか。そして一度権力を握るとその行為は次々と美化されていく可能性を持つ。
 白い壁と規則正しく並ぶ瓦とが見せてくれるこのバランスはとても面白いし、綺麗だし、しばし見とれてしまうものがある。

 さて、ここからがものすごい。バスは一路北へ向かう。どんどん山の中に入っていく。智頭急行に沿って373号線を北上。この道は千代川(せんだいがわ)にもそっているので、走れば走るほど千代川が太く幅広くなっていくのを見ることができる。そして到着するのが、かの鳥取砂丘である。これまで砂地はイヤと云うほど見ている。レンジャーのおじさん(とてもレンジャーという印象はないが)が説明するように、日本にだって長い砂地はいくらでもある。しかし、ここには起伏があってなんだか人を惹きつけるらしい。砂地の定番らくだに客を乗せる人がやっぱりいた。しかし、砂地には人間以外の動物を入れてはいけないというルールになっているそうで、悠然とあの砂地を「月の砂漠」のように歩くことができるわけではない。砂地+駱駝の発想は日本人だけじゃなくて、オーストラリアでもそんな商売をしている人がいたけれど、冬季期間に限られた商売だった。もっともオーストラリアには野生の駱駝が存在する。まだあの国が探検時代に内陸の輸送手段として導入された駱駝が野生化したものである。
 海岸線との間に大きな砂丘がひとつだけある。そこに登ると海岸線が見える。なんだかタズマニアのワイングラスベイを思いだした。ここまであがると息が上がってしまってその先の下りには足は向かないという意味である。砂漠の雰囲気に最高なお膳立ては暑さだった。どうやら今年の梅雨は「空梅雨」のようだ。