ほぼ足りてまだ欲 その先

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チェルノブイリ

 あれから既に20年もたってしまった。その間、私が暮らしている国ではどうやら原子力発電そのものについての危機感を正確につかむと云うことについては怠慢そのもののようである。経済団体が先頭に立って、二酸化炭素の発生を抑えることのできない化石燃料を用いた発電に比べて「大変にクリーンなエネルギー源」だという欺瞞を大手を振って主張している。
 しかも、その当事者である電力会社はそのマスコミュニケーションを使った宣伝広告の中で、全く動揺することもなく、平然と地球温暖化に寄与するクリーンなエネルギー源だとして原子力発電を喧伝している。それをなんの疑問もなくそのままそれぞれの媒体は受け入れることによってそれを意識なき読者に対して肯定しているのである。
 私たち人類はこの地球をわがものとしてその操縦を任されているにもかかわらず、チェルノブイリの事件についてこの20年間に何を学んできたのか。それよりもなによりもあれだけの地球と地球に暮らす動植物に対していつまでも続く被害を及ぼしている事故、事件を目の前にしても未だにクリーンだと云うことのできるその見事なほどの鈍感さはどこで醸成されるのだろうか。
 誰が、どこで、どれほど、この危険きわまりないエネルギー源をごり押しすることによって儲かるのだろうか。新たな原子力発電所を電力会社が建設するために、地元に優先的に投下する費用はどう考えても”まずいものを押しつけるのだからその見返り”としてのものと理解されるのが普通だろう。原子力発電所を抱える地域はどこに行っても立派な施設がある。今度はそれがあることによってその危険性を意味してしまうというのならそれを止めるという行動の屈折した有様には驚く他ない。なんという屈折した論理か。
 ならばお前は電気を使わないで暮らせるというのかという話が必ず出てくる。原子力発電を止めようとするとこの私が暮らす国の電力はゼロになってしまうのか。それほど私が暮らしている国ではアイディアを巡らすことができないというのか。いつからそんなに技術力が枯渇してしまったのだろうか。御三家のために経済団体も電力会社も存在しているのではなかろうに。
 なんで、そんな面倒なことを考えるのか、なんで、世の中の流れがそうなっていっているのに偉そうにそんなことを考えなくたって良いじゃないか、そしてそれを公にしなくても良いじゃないか、お前なんかに云われたくない・・・か。
 過去から何も学ぼうとしないのは先祖に対する冒涜ではあるまいか。それが自らの直接的な先祖でないとダメなのか。人類という種の先祖としたら同じかもね。
 実のところをいっちゃうと、原子力エネルギーを開発する権利があると主張するイランも許さんのだけれど、それを大声上げて「ゆるさん!」と云っているあめりかという国や、ろしあという国なんかにそんなことを云う権利はまさに、まさにないんだよ。あんたらまず自分のところから掃除し直しな。