ほぼ足りてまだ欲 その先

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ドミニカ移民

 国会の議事録をドミニカの移民をキーワードとして検索し、それに引っかかってきたものを時代順に読んでいるのだけれど、1962年には帰国家族が国会の委員会に参考人として招聘されている。その直ぐあとに今度は外務省移住局長、ドミニカに実際に調査に行った元技官(その時には既に民間に転職していた)、海協連の現地駐在者といったところが参考人として出席して質問を受けている。
 1962年のバックグラウンドをもう一度レビューしなくてはならないと思うのだけれども、日本社会党の委員が次から次に質問に立って行政の責任を追及するけれど、高木外務省移住局長をはじめ、彼らの対応には本当に恐れ入る。特に、東京外語スペイン語卒で長いこと外務省に奉職してきた日本海外協会連合会の元ドミニカ支部長であった横田一太郎氏はここで精神論をぶつ。「ブラジルに比べてドミニカ入植の移民たちは忍耐がない、ブラジルでは20年、30年、中には50年頑張ってようやく成功した人たちもいる」。行政サイドは根底にこの気持ちを持ったまま委員会での野党の攻勢に耐えようとする。
 そして、その後は多くの委員会で「あのドミニカの失敗」と取り上げられ、これを否定する雰囲気はどこにもなかった。つまりすでにあの移民は失敗だったと多くの人が認めていたのである。にもかかわらずドミニカ移民に対する補償が何故なされなかったのかと云えば、それを認めたらあの時点では「ならば私も帰国して補償してもらおう」という移民があちこちから名乗りを上げるかも知れないという危惧からであったのかも知れない。
 もう一つは、国援法による帰国とはいえ、曲がりなりにも帰国し、これだけ取り上げられたことで「もう良いだろう!」という気持ちが行政の側にあったであろうことは否定できないと思う。尾辻さんが出てくるのはどの辺からなのか、もう少し議事録を読み続けよう。