ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ナビ頼りに

 美ヶ原に行ってみようと思い立った。そういえば名前は聞いたことがあるけれど、行ったことがない。一昨日武石のお風呂に行ったときに見た道標に美ヶ原への道案内があったのだ。一体どこにどのように行っていいのかなんてぜんぜん知らないけれど、幸い借りてきた車にはナビゲーターがついている。「美ヶ原」とインプットしてみると素直に出てこない。たぶん冬になると通れなくなる経路があるのかもしれない。

 まずは浅間サンラインを辿って小諸まで行く。すると反対車線には白バイが4台、パトカーが後について隊列を組んでいく。その後からも数台の警察車両が行く。まるで何かがあるかのごとく。あとで聞いたらこの朝天皇・皇后が軽井沢の駅に到着したのだそうで、その警護に向かう県警の車両だった。そういえば昨年もやはり私たちが来ていたときに拠点の前の細い抜け道をご一行が通っていった。あの時はゴルフ場のすぐ傍のホテルにお泊りだったことが前を通り過ぎてすぐにわかった。今度はどこに泊まっておられるのだろうか。塩沢交差点の弥栄に夕飯を食べに行くと、お店の方がバイパスも含めて今日は三度もお迎えしちゃいました、と仰っていた。お忙しい様子である。

 国道142号線を通っていく。山間の村の中に入っていく。ナビが導くままに走っていくとそのうちに気がついたら車一台がようやく通れるような山道に入り込む。これがたぶん178号線なるもののようだ。これはまずいことになったなぁと思いながらそれでもひたすら行く。なるほど、こんな道を選択してしまえば冬は通れなくなることだろう。本当にこの道でいいのかと思っているうちに、ぽこっと舗装された立派な道に合流する。これがビーナスラインだった。ここからは一気呵成に高度を稼ぐ。山本小屋横の村営駐車場にやってくると標高はほぼ2000m位にまでなっていて、外気は涼しいを通り越して肌寒い。しかし、天気は快晴でちょっと登るとすぐに温かくなる。写真で見たことのある「美しの塔」が遥かに見える。牧場にはホルスタイン種があちこちで草を食んでいる。こんな標高にこんな平原があるのは驚きだ。小さな花を何種類か見ることができる。山本小屋までは松本からバスが来ているそうだ。

 フジサンケイグループが箱根のように屋外にモダンアートを並べている方へいって見る。とんでもない風景を前にしてあきれ返る。なんでこんなところにこんなものを並べなくてはならないのだろうか。ほかにふさわしい場所があるはずで、こんなところをこうしてぶち壊しておかしいと思わない集団に文化を語る資格はない。

 帰りは武石側へ降りる。こっちの方がなんぼか楽だ。昼飯はどこで蕎麦を食べようかと逡巡。まずこれまで行ったことのない蕎麦屋が良いと候補に挙がったのは懐古園の草笛本店、そして上田の「くろつぼ」だった。とりあえず遠い方、上田を選択。角を曲がってみると一台も車が停まっていない。停まっていないはずだ。月曜日は休み。そこへ二台の車がやってくる。彼らも休みと聞いてがっくり。「どこか知りませんか?」というので「刀屋」と「大西」、上田の「草笛」を言うがどうやらぴんと来ていないらしい。なにやらガイドブックを取り出して見ているのを尻目にこちらはさっさと懐古園に急ぐ。
 午後1時半ごろ草笛に到着。壁に貼ってある短冊メニューに「藤村そば」の文字が目に留まる。「あれは何?」と聞くと「蕎麦の上に天麩羅なんかが乗っていてつゆをかけて・・」「あ、ぶっかけのこと?」と聞くとそうだという。そうそう、こちらの蕎麦屋には大体ぶっかけがある。多分うるさい蕎麦通のかたがたは邪道と仰るかもしれないけれど、これはこれでまたおいしいものだ。運ばれてくるといわゆるこの辺の蕎麦屋かき揚げ、とろろ、若布、山菜が載っている。オオバの葉に包まれてなにやら茶色い、まるで鯛デンブのようなものが載っている。これは一体なにものならんと箸の先につけてなめていると、通りかかったお店の方が「それはくるみですよ」と教えてくれる。ちょっと甘いのだ。これをぐるぐると混ぜて食べる。ちょっと甘くなる。量も十分にあって堪能した。
 連れ合いはざるを「少なめ」で発注。とにかく草笛のざるの並盛りは東京の蕎麦屋のざるの2-3倍は優にあるから油断してはならないのだ。向こうのほうに入ってきた20代と30代の男二人連れが「大盛り」といったのを聞いて二人で目を合わせる。多分この二人だったらぺろっと平らげるのだろうが、その食いっぷりよりも、その「大盛り」を写真に撮りたいと思った。運ばれてくる前にこちらが食べ終わってしまったのは残念だった。
 「草笛」は国道18号線沿いだったと思うけれど、草笛グループの製粉工場を持っている。これで、佐久平、東御のふるさと草笛、上田の4店を網羅。懐古園の草笛の昔ながらの建物はいつまでこのままで営業できるかわからないけれど、このままであって欲しいと思うのはなんでだろう。多分私が高校生のときに懐古園に来たときからこのままである。
 電車の向こうの北国街道に向かう。毎年こっちに来たら必ずこちらには足を向ける。多分もう10年以上こうしている。ここには骨董屋が二軒ある。ちょっとガラクタも一緒くたになって、まるでそのまま放り出しているような店はおじさんが一人でやっていて一つ一つに値段はついていない上に何がどこにあるのかわからない状態だけれども、時々面白いものを見つける。今日もなんだかんだいって少しまけてもらう。追分に新しい骨董屋ができていると聞く。それではと帰りにわざわざ追分の旧道に入り込むとなるほどできている。フォルクス・ワーゲンに昔の学校から出たような椅子、踏み台なんてものを買い込んでいるアラカン世代がいる。そういえば今度の旅で思ったのだけれど、すれ違う派手な車を見ていると運転しているのがアラカン世代だったというのが目に付く。それまで我慢に我慢を重ねた挙句、引退にあたって漸く念願の派手な車を手に入れた、というやつではないだろうか。もちろん、そんなの調査したわけじゃないけれど、そんな傾向があるんじゃないか。私の知り合いでも引退したら突然ドイツの車に乗っていた人が数人確かにいる。