ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

18年

 今日は義母の命日。あれは1994年。あれから18年か。その10日ほど前の朝、私はバタバタと出勤したが、妻は近くの実家の義母から電話が来ておなかが痛くて堪らないから来てくれといわれたといって実家に行った。あとから職場に電話が来ておなかが痛いからと温めたくなって朝風呂に入ったけれど、いたくて堪らなくなったのだというのでかかりつけの医者に連れて行ったら、これはいけないとすぐさま救急車で救急病院に入院したという。
 病院へ行ってみると、病室どころかICUに入っていた。なんと心筋梗塞を起こしていたというのだった。これはまずいことになったなぁと入れ替わり立ち替わりで病院に行くが、ICUに入っているからそばにいるわけにも行かない。ホンの短時間逢わせてもらえたりしていたが、とうとうICUから出ることなく他界した。その短時間逢った時に意識はしっかりしていて私を見るなり「太ったんじゃないの」と云われて苦笑いをしたのだけれど、それが私に対する最後の言葉になった。
 自宅に帰ってきた亡骸を前にそれまでなにも感情を表に出さなかった義父が夜中にどっと声を出して泣いたのが忘れられない。
 あまりにも年末だったので、葬式は年明けにした。とても寒い晩で、実家にみんなで戻るなり「寒い!寒い!」と炬燵に足を突っ込むやいなや、今度は私の実家から電話があって、岡山の従兄弟が急死したという。こっちも心筋梗塞だった。葬儀を終え、帰ろうとしたらおばさんがたまにしか来ないんだから一晩泊まっていってくれろというので、ひとり息子を亡くしたばかりのおばさんとふたりで飾りのまだそのままになっている座敷で寝た。翌朝早く、地震がないと云われていた岡山に地震があった。テレビをつけて驚いた。それが関西淡路地震だった。それから家に帰ることができたのは二日後のことで、それも一旦仙台に飛行機で飛び、そこから新幹線で降りてくることで初めて可能だった。あの時一緒に東京へ帰ったその従兄弟の娘は今はどうしているだろう。