ほぼ足りてまだ欲 その先

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カウラ

 2011年1月10日にテレビ朝日で放送されたテレメンタリー「ベースボール・イン・カウラ」がBSテレ朝で再放送されていた。たった30分の番組である。最後のクレジットにキャンベラのWar Memorialの名前と一緒にあそこの学芸員である田村恵子さんの名前が出てきた。三度ほどお目にかかったことがある。
 カウラの事件は1944年の8月に起きている。枢軸国の戦時捕虜の収容所から日本人捕虜だけを移動させようという計画を知った日本人捕虜たちが脱走計画を立て、それほどの気もない捕虜たちを煽ってその気にさせ、鉄条網に突進して監視塔からの機関銃の標的となって多くが命を落とした事件だ。
 思いだしたようにこの事件はどこかで取り上げられるのだけれど、今の日本人の関心を引かない。この事件を覚えているのはそれこそカウラ近辺の住民だけだろう。

 もちろん私も昔から知っていたわけではない。Sydneyに暮らした3年半の間にこの事件を知り、毎年春に日本人会がバスを仕立ててカウラに赴き、桜の並木に植樹をする行事に参加したからだ。
 この番組では南忠男(殆どの捕虜は偽名で、これも偽名)も登場するけれど、中野不二男の著作ではどうやら彼あたりが煽ってトイレットペーパに書いて投票した決行か決行でないかの投票に不本意ながら決行を書いた捕虜たちばかりだったので、突っ込んでいくことになった顛末が語られている。
 しかし、なにしろ「死して虜囚の辱めを受けず」であったから、とかく捕虜になった日本兵は偽名を使い、帰国することが恐ろしく、戦後頑なに口を閉ざしてきた。彼らも軍官僚の「精神論戦争」の犠牲者である。そしてその精神は今でも日本の旧態依然とした官僚主義と共に跋扈している。
 つまりこの話もまた放射能汚染日本列島に繋がっている。