ほぼ足りてまだ欲 その先

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自爆テロ

 どうやら日本ではイスラミック・テロの自爆テロと、旧日本軍の特別攻撃の自爆攻撃とは違うんだという心情的理解が正しいと受け止められているようだけれど、本当にそうか。
 私にはどちらも同じにしか思えない。イスラム過激派の世界ではこれは聖戦、ジハードの一環なんだといわれている。旧日本軍だって、あの戦争のことを聖戦といっていたじゃないか。和平の動きに対して軍部は「断固、聖戦完遂」と主張していた。そして実質的には有無を云わせぬ特攻出撃であったわけで、特攻出撃を回避することは相当な抵抗が彼らの意識の中にあったし、すでにそれは日本男子としては当然果たすべき義務、だとして認識するように仕向けられていた。
 この論に反対する人たちは、彼らの特攻に取り組む行動は、家族を守り、国を守るために自らを犠牲にする、実に純粋な心から出ているのだと主張するけれど、そう認識せざるを得ない状況にかれら青少年をその気にさせるべく持って行った訳なのだから、イスラム過激派の「すべてはアッラーの思し召し」と何ら変わるところはない。
 つまり、安倍晋三一派がイスラム過激派を非難すれば、それは彼らが靖国へ参拝する心を否定することになるという矛盾を犯していることになる。
 例えば異なる仕事だと嘘をついて婦女子を遠くへ連れ出して慰安婦の仕事に放り込んで、彼女らに人生を諦めさせるということ、あるいは「オイ、こら!」と通りかかりの中国人を捕まえてそのまま連行して最後は内地のどこかわからない鉱山で働かせたことと、ナイジェリアのイスラム過激派がキリスト教徒の女学生を拉致したことは何ら変わらないわけで、彼らの行動をどう考えても美化できないのと同じで、やっぱり旧日本軍がやったことも、どう考えてもいいつくろうことはできない。
 女性の性奴隷化に関していえば、軍が直接管理したのか、民間の女衒が言葉を弄して連れて行って軍票で対価を払ったのかどうかという点はむしろ問題にならない。
 他の国の軍隊だってこうだった、ソ連兵もこんなことをしたじゃないか、アメリカ兵だって、こんなにバイ・レイスの子どもたちをおいていったじゃないかというのは、事実として語って良いけれど、だから許されるという問題じゃない。