ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 夜中降っていた雨も朝目が覚めるとやんでいる。しかし、分厚い雲の下で、気温は上がらない。気分が盛り上がらない。
 かまやつひろしが死んだそうだ。78歳だったという。彼を初めて見たのはちょうど50年ほど昔の話で、それは銀座のACBという当時は「ジャズ喫茶」といっていたと思うのだけれど、実態は今でいうライブハウスで、「喫茶」というくらいだからコーヒーを提供していたが、実は誰もコーヒーなんて飲まない。私は高校が大井町だったから、この種の店で一番近かったのが銀座ACBだった。学生服のまま学校の帰りに、あるいはサボっていたのか、銀座へ出て、彼が加わっていたThe Spidersというバンドのライブを見に行った。当時は彼らもあんまり売れていなかったし、レパートリーもそれほど多くない。かまやつひろしは最初からあのバンドの正式なメンバーではなかったのかもしれない。なんとなくゲスト的な扱いだったのではないだろうか。というのはメンバーの中で名前が知られていたのは彼だけだったからだ。彼はロカビリー歌手として売られていたし、三人ひろしなんてところに名前を連ねて売り込まれていたりしていたからだ。ティーブかまやつの息子だからといって知られていた。
 もう一人、堺駿二の息子だぜといわれて、ほぉ、そうなのかといったのが堺正章で、なんだかチャラチャラして歳も近かったせいか、うるさい奴だなぁというのが印象だった。あのバンドはドラムのおっかない、しかし、よく走る田辺昭知と、スチールギター大野克夫で持っているバンドだった。井上孝之は当時はまだリードをろくに弾けなかったから、それをすべて大野克夫がカバーしていた。ベースの加藤充がこのメンバーの中では地味で目立たず、淡々と仕事をこなしていた。その中にあって、カントリー出身のかまやつひろしはやっぱり異色だった。
 いったいいつから彼はカツラを着用していたんだろう。気がついたときにはあんな状態だった。スパイダーズを解散したあと、しばらく表舞台から姿を消していた間の出来事だったのだろうか。そのカツラの話として、語られているのが、地方へ出て、打ち上げで呑んでいるときに、トイレに入った彼が悲鳴を上げているのに気がついて、むりやり扉を開けてみたら、かつらが換気扇に巻き込まれているのを発見されたという、多分嘘だろうと思われる逸話がある。なんで嘘だと思うのかというと、カツラはとれちゃえば、悲鳴を上げる必要はないということだ。それともおずおずと出てきて「あのさぁ、ちょっとこまっちゃってんだけどさぁ」といったというのであれば、多少信憑性は増す。
 彼は知る人ぞ知るギター巧者で、繰り出すコードの数々には誰しもが舌を巻く。ひょっとすると彼は自らギターのフィンガーボード上で、どんどん新たなコードの抑え方を発見しているんじゃないかというほどで、例えば当時のスパイダーズの曲をアコースティック・ギター一本で歌い出したら、どんどんコードが変わっていっちゃって、しまいには違う曲になっちゃっているんじゃないかというほどだ。
 一度小さな店で彼が若い女性と二人で歌ってみせるという趣向に立ち会ったことがあるけれど、客の前に出てきたときにはもうすでに相当できあがっていて、拍車をかけたコード展開で、みんなで感心しつつ、驚いたものだった。
 一時代が終わったなぁという感慨に駆られる知らせだった。