ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

NZでの事件

 杉浦昌子のアイメンタルスクールでの入寮者死亡事件が先月から少しずつ報道されるうちにとうとう警察が逮捕したというニュースが流れた。この杉浦代表の夕方のワイドショーでの取り上げられ方は見たことがないから知らないが、長田百合子の妹と聞いて大変に驚いた。長田百合子もテレビ界は好きで結構取り上げられてきた。テレビ朝日にいたっては「朝まで生テレビ」にまで出演させている。矢崎泰久が、東條英機の孫が出演した時に田原総一郎に噛みついたように、田原はこの辺は相当に山師である。テレビはエキセントリックであればあるほど取り上げたくなる。そしてその世界にインボルブされていない多くの視聴者層は「あぁ大変だ、うちはこうじゃなくて良かった」と胸を撫で下ろす。それに該当する数少ない視聴者層の中には、ついに思いあまって、連絡してみようと思う人もいるはずだ。それほど、親はどこにすがって良いのか見当もつかない状況にいる。

区別がつかない

 問題が大きいのは、昔からそうなのだけれども、本当に対象者の状況を理解して力になろうとし、その努力をしている支援者のグループと、はっきりいってしまえば「粗雑」なグループとの違いを見分けることが容易でないことにある。ましてや、「とにかく早いほうがよい、時間が経てば経つほどどんどん解決は難しくなる」という追い立てるような言葉を投げかけられれば、親は焦る。
 奥山雅久氏が代表をしておられるKHJ親の会のようなある種のセルフ・ヘルプ・グループの活動から手がかりを探る方が現実的な気がする。いずれにしても親が本質的にかかわろうとする姿勢が不可欠だろう。

あれは単なる外国での事件だったのか

 今度の事件で想い出したのはかつてニュージーランドオークランドで起きた事件である。神奈川県に本拠を持つNPOを謳うグループがオークランドに持っていた、施設とは云えないような家で約50人の日本人の青少年が集団生活を送っていた。2003年3月、そこに暮らしていた22歳の一人の日本人青年が殺された。彼がその施設で火をつけるなど異常な行動をとったので、みんなで諫めていたというのが最初の説明だった。ところがあとからニュージーランドの新聞が報じるところを見ると、彼はアスペルガー症候群の青年であったという。
 今回ネットで調べてみると、この事件の直接加害者として、4名の施設居住者であった日本人が2004年12月に禁固三年半の有罪判決を受けている。今でも服役中であろうか。
 しかし、不思議なことにその施設の経営者はまったく罪を問われていないようだ。しかも、このNPOは当時、HPもあっという間にとじてしまったにもかかわらず、現在では全く何事もなかったかのように活動しているように見える。文科省から委託を受けた事業まで売り物になっている。勿論事件を糧に正しく改善され、二度とそんな事故を起こさないように運営しようと立ち直っているのであればなんら憂える必要はないのだろう。しかし、そんな事件の片鱗もうかがえず、かつては手作りのようなHPであったものが本職のウェブデザイナーの手によるものになり、なんだかどこかの専門学校のHPを見るようだ。かの経営者は自分のブログの中で半年ほど前にもいまだにニュージーランドの教育関連組織の委員であるような書き込みすらしている。Google NZで捜すと、そのような名称の組織を見つけることはできない。事件当時のニュージーランドの新聞ではその施設の名前があたかも教育機関であるかの如き表記であることから、NZ政府から教育機関としての届け出でのされていない非公認な教育施設であると指摘されていたことを想い出す。
 さすがにNZの施設はとっくに閉鎖されたので、何も出ては来ないが、オーストラリアのシドニーには未だに施設を持っているようで、この経営者はその組織の顧問と云うことになっている。この組織は現地で「ボランティアスタッフ募集」を日本人滞在者に呼びかけている。

シドニーにて共同生活舎の運営やホームステイ先の斡旋、ミュージカルやヨット航海などの様々なアクティビティーを行っている団体です。 また、現地校へ通学する生徒の学校への対応を行っています。スタッフは生徒たちと一緒に生活し、週末を過ごすので、ほかの留学エージェントと違い、生徒たちとは家族同様の関係になります。 元々は日本の教育制度になじめない学生たちや不登校、引きこもりの子ども達の居場所として活動を行って参りましたが、現在では、年齢や目的が様々な人たちが一緒にシドニーでの生活を楽しんでいます。

と書かれている。募集期間は1-3ヶ月間で住み込みとされているが、たとえばワーキング・ホリデーでシドニーへ出かけようとするような若者にとっては当面の拠点として考えても良いかなぁと思えるのだろうか。
 今回の事件でも、施設の名前にはあたかも教育機関であるかの如き「スクール」という表記が使われている。その周辺情報としてきこえてくる話にオークランドの事件と重なるところがいくつか発見することもできるのが不気味である。

動かなくては

 本当に信頼して良いと思える、安心してすがって良い、そんな本当の意味で専門家が運営する拠点が容易にアクセスできる仕組みを考える必要がある。その意味では高齢者に対する介護というものをより市民の身近なところに持ち出してきたという点で「社会福祉構造改革」は意味があったと、たまには持ち上げておく。その点ではいわゆる「ひきこもり」「不登校」の青少年に対する支援は根本的な行政による覚悟があまりにもおざなりだというしかない。「誰もが陥る危険性がある」との認識まではついにここまで来たかと期待をしたけれど、その後の展開がない。考えるべき責任を私も抱えているような気がする。

スケート連盟

 杜撰という言葉はこの人たちのためにあったのかと思えるほどのお粗末さだ、ということは多分随分たくさんの人たちが書いていることだろう。理由のわからない2000数百万円をそれぞれが受け取っていたという話もそうとうに鉄面皮だ。良くこんな倫理観を持った連盟の元でこれだけの選手が育ったものだと驚く。そうでなかったらもっと多くの選手が育ったんじゃないかと考えるのは素人の浅はかさなんだろうか。
 選手経験者だけで構築されている連盟に問題があるのではないかという解説をしてくれるテレビニュースもあった。しかし、多分邪推するに、この種のスポーツ競技連盟というのはここだけの話じゃないだろう。あそこの連盟だってそうじゃないのか、という想像をする連盟だって、あの岸記念館にはあったような気がする。


060511「NZでの事件」一部書き直し