ほぼ足りてまだ欲 その先

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「我的祖国」

 朝日新聞の夕刊に「我的祖国 ー 残留孤児の今」という特集が連載されている。昨日(2004.11.19)の夕刊で第7回である(11月15日の第3回分が見あたらない。さんざん家中を探して判明。うちの猫のトイレにつかっちまった・・・)。はっきりいって中国での残留婦人、孤児についての援助は実質上すでに終わっているのだろうと思っていた。というのは戦後からすでに何年も経っていて残されていた人たちももうすでになくなられていてほぼいないのだろうという単純な憶測であった。しかし、よく考えてみると来年が戦後60周年になるに過ぎなくて、当時生まれたばかりで過酷な帰国の旅に耐えられないであろうと思われ、現地の人に託された、という孤児の人たちであればまだ65歳になるかならないかである。まだまだ沢山の人たちがおられてもおかしくない年齢である。
 「日本は自分の子どもたちを2度捨てましたね。45年と今。国交が回復しても探しにもこない。ここにもいますよ」という言葉は重い。母親と一緒に中国人のもとに身を寄せた人である。つまり、乳飲み子を抱えて女ひとりで生き残ることのできなかった母親は(どのような経過があったかは知らないが)中国人の夫のところに来た。しかし、その母親は「日本に帰る」と1953年頃に家を出て行ってしまったというのである。厚生労働省中国孤児等対策室の見解は「戦後7年、母親と一緒にいたのだから残留孤児にはあたらない」という解釈で調査対象ではないとしているのである。
 どうしてこうした制限、制約が必要なのだろうか。その根底には中国から見ると日本は何事も素晴らしくて、誰もが来たがって、それでいながら永年中国で暮らしていたんだからそう簡単には日本にはなじめないんだろうから、この人たちを受け入れる上では援助するための費用もかかる。それでなくてもどんどん認めたら、本当にそうかどうかもわからない人までやってきて、中国だけじゃなくて、フィリッピンや、インドネシアや体当たりに日本人の子どもなんだという人がいないとも限らないわけで、そう簡単にやってきてもらっちゃ困る、という考えが潜んでいるんだろうな。
 しかし、ここで一度考えてみたい。自分が何年も何十年も暮らしてきたところが自分にとっては最も暮らしやすいところであるはずだ。だけれども「本当は君はあの国に暮らしている筈だったんだけど、こんなことでこの国に暮らしているんだよ」といわれたら誰でも、おそらく全くの例外なしに、その国を見てみたい、できることならそこで暮らしてみたい、自分の親はいないまでも誰か血のつながっているものがいるのならあってみたい、と次々に思いが拡がっていって当たり前なのである。
 受け入れる国にとっては確かに金がかかる。ほぼその人だけでなく、その家族全員の一生分を支える必要がある。異文化環境の中に暮らしはじめるのだから、多くの問題点が発生してきて当たり前だ。言語が通じない、文化が違う、ということは価値観が異なる。それを受け入れることのできるシステムを作り出すことが民度の高い国家の役割だと云えないか。
 これが自らの意思によって自らが暮らす地域、文化を異なる地域に移した人であっても、その後の自らの意思で元に戻りたいと思った場合ですら、それが許されるべきだと思う。一度決断したら後は知らないよ、という必要はどこにもない。人間はどこででもやり直すことができるのであり、それができるのでなくてはならないのである。「やり直す」ことが許されない社会には希望がない。やり直しましょう、小泉さん!自衛隊を呼び戻しましょう!年金は白紙に戻しましょう!ずるいやり方は止めましょう!どうです?