ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

いつもの日曜の朝

 NHKに朝から出ていた武部にしろ、テレビ朝日サンデープロジェクトに出てきた町村にしろ、とても幸せな人生を送る(と思いこむ)パターンなんだろうなぁと思う。彼らはきっと三浦展を読んで「ウンウン、とうなずく」人たちなんだろうなぁと思う。
 どれだけ世の中の流れを我が田に引きずり込み、その自分の解釈で強引に塗り固めて生きていこうとしようとそれはひとりの市民として、自由だ。その点ではこの世の片隅にかすかに動いている私と同じようであればどんな考えに固執しようと、脇目を振らなくても本当に自分の勝手である。しかし!彼らはこの国の鼻面をつかんで振り回していこうとし、実際の話、強引にも引っ張って行っているその当事者たちである。その重要性を全く理解できていない。その辺のサラリーマンが会社組織の中での指揮権争いをしているのとはレベルとして考えたら全く異なるのである。(でも、多分彼らにとってはあんまり違うと思っていないのだろうなぁ・・。)
 日本とアメリカが仲良くしていたら、それは日本とアジアの各国とも仲良くできるということだと理解するその「ノー天気」さ加減にはあきれ果てるなり。日本とアメリカが仲良くして行くそのひとつとしてキャンプ・シュワブの件があるらしいけれど、地元は大反対。アメリカと仲良くすることのために日本の国民を犠牲にするのはこれだけじゃなくて、BSEもあるけどね。この件も、多分彼らは「地元の方全員がすべて反対しているわけではない」とか「若干の修正はあるだろうけれど」というごまかし方がどんどん通用するだろうという読み方が、これまでの自民党とどこが違うのかといえば、もっと悪くなっている。その要因はやっぱり官僚主導であるということがうまく機能していないという点にあるだろう。
 書き散らしているなぁと思いながら書いているが、日本の官僚は計画経済下の官僚意識から全く脱却していない。ここを見るといくら政権が「与党を壊し」たとしても、その根本が変わるわけがない。
 建築物の構造計算で意図的にその計算についていい加減な数値を出した事件でも法を整備(作っただけで“整備”という言葉を使うな)したということになっている。しかし、きちんとした設計知識を持っている人であったなら、その構造計算の結果としてコンクリート構造物の鉄筋が他の物件に比較して明らかに少なくなることは明確に判断できるはずである。だとすると、この建築物に関わるすべての設計者、技術者がその良心に何らの呵責を感ずることもなく仕事を進めたことは、既に犯罪である。イーホームズが責任逃れの記者会見をし、それを官憲が放置しているのは明らかに職務怠慢である。
 しかし、霞ヶ関がほぼこれと同じ仕事の進め方をしてきていることを放置していることはいくつかのダム計画、有明のしきりといったところでも見ることができる。こうしたかつて議論が盛んであった部分がすっかり議論されなくなるところが与党自民党の思う壺だが、今のマスコミはいつから同盟通信化されてしまったのだろう。
 昨日の朝日新聞が「旧皇族皇籍復帰覚悟を」という記事を掲載している。元宮家だという竹田某氏による皇室典範改正反対論のようである。「アサヒ」がこの記事を掲載した意図は何だろうか。産経や読売ならいざ知らず、アサヒがわざわざこの30歳の男の顔写真まで掲載した意味は何だろうか。同氏のHPをみるとどんな人か察しはつきそうである。