ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

また古本・・の前に天丼を

 丸ノ内線で銀座に移動する。そろそろ小腹が空いてくる。松坂屋7階の古本市に上がるのだけれども、その前にと思って地下一階に下りる。ここには天丼、トンカツ、鮨のそれぞれのイートインがある。昔はこんないい方はしなかった。10年ほど前にオーストラリアで少し暮らした時にこんな言葉を知った。すると日本に帰ってきてしばらくしたら、日本でもそんな「ダイン・イン」といった言葉を使うことが普通になっていった。一体こんな言葉は英語圏では昔からあったんだろうか?
 ここの鮨がうまいんだよ、という話を聞いたことがあるけれど、私にとって美味しいお鮨というのは決まっているので、敢えて他の場所で鮨を食べることはしない。とんかつは胆嚢のない私は心配になってしまう。天丼なら良いのか、ということにはならないのだけれど、ついその天丼を食べてしまった。横に親子丼があったらそっちに行っただろうけれど。久しぶりに食べた天丼である。何年ぶりだろうか。
 一番安い「竹天丼」1,050円也を頼む。わたしは「天丼をひとつ下さい」といったのである。実は入る前にいくつかグレードがあるらしいことは知っていた。昔はこういった店ではただ「下さい」といったらいわゆる並のものを通す。並ってのはそういう意味だからである。だから、ちょいと上のものを食べたい奴はわざわざ「松でお願いね」なんてことをちょっと誇らしげに云うことを許す。尤もその時、それを聞いた私は多分心の中で“何が、松だよ“とつぶやくはずである。ましてやここで最も高い「特製」なんてものを頼む人がいれば、同じようにいうかと思えばさにあらず。「なんてぇ、色気のねぇ名前を付けたかなぁ」というのである。
 で、ここのカウンターの中に入っていたお姉さんが「どれに致しましょう」とお尋ねになったのである。「一番安いの」というのにはちょっと、というか、はなはだプライドが揺らいだのであるな。で、「あ、そうなんだ」と気がつかなかった風を装うはげオヤジであった。で、一番安い天丼(1050円)に付いている名前を。「では竹を」といったら、そのお姉さん、聞こえていない風なんである。しょうがないから、もう一度「すみまへん!竹を!」と言い放って、初めて認識してもらう。とうとう、このオヤジはえらそうな顔をしているくせに一番安い(うるさいなぁ、何回も)天丼を頼んだと知れた・・・。
 天丼がくる間、ひとりのオヤジは実に手持ちぶさたである。で、カウンターの前に立ててある印刷物に手がいく。岸田劉生のあの座敷童のような女の子の絵(絵に造詣が深くないことが知れる)が描いてある。その印刷物を読むと、この天一という店の創始者という方が、岸田劉生の絵を集め、水上に美術館を出しているというのである。
 ま、かつての経営者というのはそうした好事家とでもいうような人が多いから驚かないが、この人の出身地を見て興味を持ったのである。岡山の総社の出だという。天一といえば銀座では知らない人はいなかったわけだから、てっきり江戸の人だと思っていた。しかも、総社というのは今年死んだおふくろの実家、岡山の吉備津からそれほど遠くない場所である。95年に死んだ従兄弟は総社高校の出身だった。何となく、天一に今日感じていた敵対的(大げさすぎるが)関係性が一挙に氷解して、帰りにはお盆を中のおばさんにお渡しして、ごちそうさま、とご挨拶させていただく。
 後から入ってきて二人で天丼を食べていた、私とほぼ同年配とおぼしき夫婦は注文して天丼が出てきて食べ始めるまでほぼ一言も言葉を交わさないばかりか、にこりともしないのであった。食べた後で、「美味しかったね」くらいはいったのだろうか。私のようにまとわりついて顰蹙を買うよりは良いか。
 こういうカウンターで天丼を戴くと、温かいご飯を多分大きなジャーから取り出して盛り、天つゆをちらし、揚げたての天ぷらを天つゆをくぐらせて載せ、そのまま出してくれる。できることなら、ちょっとの合間で良いから蓋をして蒸らしてくれないモンかなぁ。なんだか生のままの天つゆの味がするんである。だから、近頃はめったにいかないが、浅草の蕎麦屋、尾○屋のように、蓋をして持ってきてくれる必要があると思うのである。あそこは並ばせることを当たり前のように思いこんでいる店員がいる間は二度とのれんをくぐらないことにしているけれど。
 たった一杯の、それも安い天丼を食べるだけなのに、あぁだこうだとうるさいオヤジは嫌われるよなぁ。
 7階に上がると結構棚が並んでいる。野村吉三郎が1946年に書いた「開戦事情なんたら」という、頁をめくったらぽろぽろになってしまいそうな茶色い粗末な紙の本を見つけたのだけれども、それを買わなかったことを後悔している。

  • 「戦争とラジオ BBC時代」ジョージ・オーウェル晶文社 1994、今図書館から「戦争が遺したもの」という鶴見俊輔上野千鶴子小熊英二が話を聞く本を読んでいる(この本のことはとても面白いので、どこかでちゃんと触れたいとは思う)。鶴見俊輔は戦争が始まると留学先の米国から戻ってきた。そしてジャカルタの海軍武官府で働きながら敵放送をキャッチする仕事をする。その中でインドのニューデリーBBC放送は図抜けて内容が良かった、あれはジョージ・オーウェルが番組を作っていたんだということを後で知った、と鶴見が語るところがある。しかし、こんな本が出ているんだとは知らなかった。新刊ではなんと9800円もする本である。

  • 昭和天皇独白録」文藝春秋 1991、1990年12月の文藝春秋に掲載された天皇の独白と寺崎英成御用掛日記、そしてマリコの「“遺産”の重み」からなる。
  • 「敗北を抱きしめて(上)」ジョン・ダワー、2001 なんと残念なことに見つけたのは(上)だけ。もちろん(下)が一緒にあったら高くなったことだろう。いつまで待っても文庫本にならないので、ついに見つけたついでに手に入れる。さて、(下)だけを見つけることが可能だろうか。

  • 「浅草東仲町五番地」堀切利高 論創社 2003、かつて22-3年暮らした町の一角にあったという旅館に生まれた著者のエッセー。昔のことが分かって面白い。

  • ユリイカ1973年1月号特集ビートルズ。なんでこんな時期に特集していたんだろう。それにしてもこのころの雑誌というのはなんと字が小さいことだろう。

  • 「放送の五十年 昭和とともに」NHK編 日本放送出版協会 1977 1925年に放送が始まってからの総括。

  • 「浅草面白雑学事典」堀和久 浅草文庫 1985 まぁ、こんなもんだろ。

  • 「戦後日本の大衆文化史」鶴見俊輔 岩波書店, 1984 1980年に鶴見俊輔がカナダのマッギル大学で話したものを日本語に直し、テープに吹き込み文字にしたもの。中身も見ずに買った。

  • 「征きて還りし兵の記憶」高杉一郎 岩波現代文庫 2002 これの前の所有者は一生懸命読んだらしくて付箋にメモがついたものがそのまま挟んである。

  • マッカーサーの日本(上・下)」週刊新潮編集部 新潮文庫 1983 上巻の5章で東京ローズについて触れている。

  • ルポルタージュ 日本国憲法」工藤宜 朝日文庫 1997

  • 「衣食足りて文学は忘れられた!?」開高健 中公文庫 1991