ほぼ足りてまだ欲 その先

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漁船徴用

 今朝未明のNHKラジオ深夜便郷土史研究家/山下義満による「消えた徴用船、牛深漁船団」を聞き始めたにもかかわらず途中で思いっきり眠くなってしまってついに蒲団に沈む。気になってしょうがないのでちょっと調べた。
 すると知らなかったのは私だけだ、という雰囲気で、戦争中に一般商船が軍の輸送のために大量に徴用されていただけではなくて、しまいには多くの漁船が有無をいわせず徴用されていき、そのまま犠牲になったという情報が戦後になって少しは書かれていることがわかってくる。
 「戦時における海運の総力を最も有効に発揮せしむるため、海運事業の統制のためにする経営をなし、且つ海運に関する国策の遂行に協力すること」を目的として1942年4月1日に「戦時海運管理令」の規定に基づいて船舶運営会が設立される。翌年1943年3月には朝鮮から漁船が徴用されるようになり、1943年後半には40トン漁船100隻が徴用され、その後には漁船・機帆船合わせて290隻が徴用されたといわれている。
 勿論海軍が徴用したのは当然としてもそのうちに陸軍もどんどん漁船が着岸しているところにやってきては「これから陸軍が徴用する。ここへ行け」と勝手に指示されて徴用されてしまったということを語る人もいる。中には航行中に停船を命じられ、そのまま徴用を告げられたケースもあるというのである。こういう漁船の一方的な利用通告というのは「強制」とはいわないんだと、多分そういうことになっているんだろうなぁ。なにしろ当時はそんなことは当たり前なんだと、法によってそういうことにして良いのだ、と決めたんだから、それは強制とはいわないんだという論理を戦後の今になっても展開していくのだから、それはちょっと無理があるのだ。やる時にはやりたい放題で、60年後の今になってそれが倫理上通用しないという認識に反論できなくなると、そんな事実は存在しないと云ってしまうという訳だ。あくまでもその発言者自身の倫理観は問われることはないけれど、事実として「強制」という状況があったとしても、法的根拠が存在すればそれは合法ということになると思っている、ということなんじゃないだろうか。尤もそれでも「強制」は「強制」か。
 牛窓から大漁旗を揚げて出ていった徴用された19隻の40トン漁船は全部沈没。人的には80%死亡。全く護衛のない中、丸腰の漁船は2-3隻で行動。海図一枚渡されてコンパスを使ってフィリピンを行く。間違えて敵の基地に入り込んでしまった船さえいたという。昼間は島影で偽装工作をして隠れ、夜になって動くと米軍の魚雷艇に狙われた。木造船は沈んでも浮いている。それで助かった人もいる。徴用船に乗り込むと軍属としてサラリーが出る。少年たちが乗る。ベテランと少年の組み合わせだった。少年たちは戦況なんて知らない。それに触れてはいけないというのが当時の雰囲気だった。助かって帰国した人たちは一様に口が重かった。
 実は戦後になっても船舶運営会は存在した。それは外地からの660万人に上る引き揚げ者の輸送が必要だったからだ。とても衰退してしまった日本の船では賄えず米国から200隻もの船舶を借り受けたのだそうだ。
 戦時中ほとんど漁に従事する人間がいなかったものだから、戦後の海は大漁だったという記述にいくつかぶつかる。それでも、充分な機材にも恵まれず輸送手段も壊滅していたから、その大漁を享受できたのも水揚げ場所周辺に限られていたことだろう。
 知らないことばかりが判明してきて、本当に今までの人生を私は何をして過ごしてきたのだろうかと不思議でしょうがない。