ほぼ足りてまだ欲 その先

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移民政策

 友人から誘われて、某所で元東京入管局長の坂中英徳がとなえる「移民政策」の中身を聞いた。彼は2005年に退職してから外国人政策研究所を主宰している。私はかつてまだ現役中の坂中が出席したシンポジウムに出席したことがあって、当時の彼が日本という国の移民受入に対する成熟度に関しては期待ができる日がいつ来るんでしょうねぇ、といういい方ではぐらかしているのを苦々しく思って聞いていた記憶がある。だから一度ちゃんと彼の今の主張を聞いてみたいと思っていた。
 簡単にいってしまうと彼が今唱えているのは全人口が1億人を切るといわれている2050年までに1千万人の移民を受け入れていこうという趣旨である。何年も前に国連では「日本は今後年間に60万人の移民を受け入れていかないと今のレベルを確保できない」という分析がなされたことがある。つまり50年間に3千万人を受け入れないと、ということだ。現在の人口、およそ1億2千万人強からそのまま換算するとこれが50年後に9千万人になってしまうのだとすると(国立社会保障・人口問題研究所の分析がいつものように大間違いでなければ)、それでも数の上では埋め合わせられるわけではない。尤も数が埋め合わせられれば良いのかといったら物事はそんなに簡単なわけでもないだろう。
 彼のいう「1千万人」には数の上でどんな意味があるのかを聞き漏らした。しかし、彼がいっているのは「人口が減少するところに発展はない」から移民を受け入れてこの国が発展していくように保とうじゃないかということであって、「減少していく人口でどうやってこの国を機能させていくか」という選択肢は切って捨てた結果である。
 第一次産業はもう既に崩壊の危機にあり、これが人口減少と共に壊滅するのは目に見えている、という彼の主張は的を射ているだろう。職業訓練の上で高度成長経済化では大いに機能していた教育機関が空いているじゃないか、これを使って移民を育成していこうという提案は如何にも官僚が発想する視点だろうという印象を持つ。日本経団連が「人口減少に対応した経済社会のあり方」なるものを発表して「わが国社会にとって相応しい総合的な外国人材受入れ制度を計画的に構築」するべきといっているのは現在の限定的な(姑息な、と置き換えても良い)外国人労働者の受入をもうちょっと正々堂々と使いこなせる労働力を確保しないとじり貧だといっているのと繋がる視点だ。
 どうしても彼の視点には「労働者としての移民」というとらえ方の色合いが払拭できない。そんなに都合の良い選別なんてものは考えられない。どうにかして今の状況から抜け出すためにより良く生きることのできる場所を求めて人は流動するわけで、この国に資するために移動するわけではない。だから暮らしやすそうな国や、地域があればそこに向かって動くし、やっかいだなと思えばそこを避ける。尤も圧倒的多数は精神的苦痛がない限り生まれ育ったところから動くことがない。
 国籍法改正に関してこれだけ大騒ぎになる鎖国のわが国にあって、移民に対して表門を大きく開く論議を想定してみると、乗り越えなくてはならないポイントが数限りなく存在する。そしてそれをマスコミや国会が真剣に議論するのはまだまだ先のような気がする。そしてその時にはもう遙かに遅すぎていて手の打ちようがなくなり、日本という国は国土が荒れ果て、人心が荒れ果て、砂漠化しているのかも知れない。あるいは私の友人の指摘ではないけれど、もう既にとっくにボーダーレス化が進んで、社会保障制度も通貨も共通化が進んでいて、たかが一地域が抱える問題ではなく、むしろ国籍すら話にならない全地球社会になっているのかも知れない。
 「人口が減少するならばそれにあった小さな社会で良いんじゃないか」という主張もある。それも選択肢のひとつであるけれど、そのためにはこれもまた国民意識の上で大きな改革を要求される。すなわち生活レベルを限定的に自律していくことだ。
 意識改革という点ではどちらも結構ハードルは高い。
 私は今のような裏門から姑息な手段を労して外国人を単なる未熟練労働力として入れ、彼らからの搾取のために表門を閉ざすというやり方は早急に改善しなくてはならないと思っている。これを改善する、つまり外国人に対して正式に労働市場を開放し、「正当な、完全な、ワーキング・シェア」を確立することがそのまず第一歩だと思っている。
 この考え方は人件費におけるコストの上昇を招き、これは当然消費者に転換されるわけだから物価の上昇に繋がることになる。しかし、本来的にいうとこれは正当な物価の構成なのであって、現在の物価が他人を踏み台にした物価レベルになっている、ということなのだ。経団連は当然反対するだろう。コストの上昇によって利益が低下すると。しかし、それは本来的には的を射ていない。
 会場からの質問にもあったように彼は官吏として入管で働いていたときは「鬼の入管」といわれていたにもかかわらず、退職してからは1千万人の受入を提唱しているのは「転向」かという印象を彼は持たれていることだろう。それは単なる役割だったのだからと割り切ることは出来る。
 彼がこの程度の認識で1千万人云々を語り、架け橋になりたい、早々と警鐘を鳴らし続けていく、といっても人が耳を傾けるのは、わが賢明なる友人によると「元入管局長」の発言だから、ということであって、単なる一民間人だったらこのブログ程度のことにしかならない。
 正直にいってしまうと現時点での議論としては深みが足りなさすぎる。