先週の金曜日の定期会見で東京都の石原慎太郎が「載っているから見てください」といった彼の投稿がmsn産経ニュースでも読むことができる。→ 【日本よ】石原慎太郎 我、敗れたれども(2009.10.12 02:52)。
先週の金曜日の会見と殆ど変わらない。だから、わざわざ全文をここに引くことはしない。ただ、最後のところだけはここにおいておこう。この時点では猪谷千春がIOCに謝罪を入れるという自体は想像がついていないから触れられていない。
私は敢(あ)えて受けて立つが、オリンピックを志して敗れたということだけでそれを主唱した首長をいちいち非難していては、もう誰もオリンピックを口にする者はいなくなるだろう。世界の失笑を買いながら、夢を見ようとしない国家民族の末は知れているとしかいいようない。(msn産経ニュース 2009.10.12 02:52)
事ここに至っても彼は自分が非難される理由の根本的意味合いがわかっていない。そりゃわからないからこそやっていけているわけだけれど。
彼がいう「世界の失笑」は何故に私たちは買っているのだろうか。私たちのどこが「世界の失笑」を買っているのだろうか。こんな首長を戴いているところか?
「国連という怪しげな組織」という表現をする彼の意味づけはどこにあるのか。「国連の理想に感銘し巨額の資金を提供していながら存在感の薄い日本の姿。理念を一途に信じるのが愚かとはいわぬが、それだけでは、ことは自らのために動いてはこないという怜悧(れいり)な認識をもたなくては何を獲得することもありはしまい」という論理に至っては負け犬の遠吠えのとばっちりか。あるいは彼はリビヤのカダフィか。
なんだか在ドイツの日本人自称ジャーナリストではないが、政治基盤の大きな変革期にあって、どんなスタンスを取って良いのかわからなくなってきてしまっているのではないだろうか。殿!お気を確かに!