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仙谷行刷相、高齢者資産に課税の検討を
 仙谷由人行政刷新相は26日、読売テレビ番組で「相続税相続税という名前でなく、残した財産に(税金が)かかることも考えないといけない」と述べ、高齢者資産に課税する仕組みを検討すべきだとの認識を示した。25日に閣議決定した2010年度予算案での歳入確保に特別会計の剰余金などの「霞が関埋蔵金」に依存したことについては「もう逆さまに振っても出てこない感じになっているのではないか」と指摘した。
 埋蔵金での歳入確保が難しくなった場合には「(国民の)皆さん方に負担をお願いしなければ仕方ないのではないか」と言及。「消費税だけでなく、その他の税目も議論をしたほうがいい」と強調した。行刷相は現役世代の負担のもとに高齢者の生活が支えられている問題点を示したうえで「高齢者がどうやって社会にお返しをしていくか考えてもいい」と語り、資産への課税を検討すべきだとの考えを明らかにした。
(NIKKEI.NET 091226 11:32)

 この発想はいつかは出てくるものだろうとは思う。なにしろ高齢者が掴んでいる総資産が全個人資産の中でどれほどを占めるのか、と考えるとその行方は自ずから決まってくる。
 しかし、ものには順序というものがある。これをするには取り敢えず所得税の累進化を高める必要がある。そうでないとその時点でのフェアネスという点でバランスが取れないからだ。これをやればこんなに個人所得の捕捉ができない中でも全対象者に子ども手当を出すことも問題にはならないはずだ。
 ましてや義務教育でもないけれど、今では現実に高校教育が殆どの人にとって最低限に近いものになってきているんだからと高校の授業料に対する支援も問題なく全高校生を対象にしようじゃないか。そうすれば対象者を絞る必要がない。
 さもなきゃ全員の所得捕捉を公平にしなくてはフェアネスは保てない。
 ただ、この時、私立高校についてまで全額というのは条件を揃えないと問題がある。私立高校がいたずらに学費を上げてしまうということができそうではないか。
 そしてもうひとつが国・自治体の高齢者介護システムの大幅な見直しと施設、サービスの充実を図らなくてはならないという頭の痛い問題である。
 なぜなら「老後のために蓄える」というこの国では最も重要な問題がクリアーにならないからだ。もし、それまでにどんな税を納めてこようと、どんな社会保険料を納めてこようと、個人の生活上どうしても必要となる介護をなんの過不足なく提供するということが実現できるのだとしたら、最低限必要な(ここが論争のポイントになるのだけれど)資産を本人の手に残しておいて、あとは国庫、あるいは自治体に納入する、というシステムを取れば良い。これを応能負担として、それまで全く納税ができなかった、あるいは社会保険料を納めることのできなかった人に対しても同じ基準のケアを提供するわけだ。
 それが実現できない場合において、各個人の資産に手をつけるというのでは、それはやらずぶったくり、ということになる。今の介護保険制度で問題になるのも、サービスの提供のフェアネスが顧客個人の応能負担となっていない点でもある。
 だから、仙石由人のような発想はあり得ないわけではない。しかし、そこに至るのには、やらなくてはならない、超えなくてはならない峠がある。だから、北欧系の国のシステム作りなどはあれだけの時間とあれだけの議論が必要となるのであって、一朝一夕に右から左にぽんと出せるものではない。