ほぼ足りてまだ欲 その先

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嵐が吹くでしょうが

 先日も23歳の男性が突然小学生に斬りつけるという恐怖としかいいようのない事件が起きている。それも極近所に一年ほど前に引っ越してきた男だということだ。まだまだ捜査中の警察から、この犯人自身についての情報はまだこぼれてきていない。リーク情報が直ぐに載るマスコミの記事になっていないところを見ると、何か事情がありそうな気がしないでもない。
 この種の事件を聞くと、顔まで斬りつけられてしまったこの9歳の少女の今後の人生にくっきりと残ってしまうであろう心の傷である。どうしたって、何が起きたって、この時の恐怖はフラッシュバックするだろうし、なにしろどんなことをしても顔の傷は本人には確認できてしまうからである。その度に自分ではどうしようもない力というのが世の中には存在していて、自分が逃げようとしても逃げられないことに時には絶望感にさいなまれたりするのではないかという点がとても気がかりだ。それをいやしてあげられる力というのは一体誰が持っているのだろうかと憂えてしまうのはあまりといえばあまりの先回りだろうか。
 そしてかたや思うのはこの犯人はこれまでにどんな人生を送ってきたのだろうか、という点でもある。彼は23年間、どんな精神的な紆余曲折を辿ってきたのだろうかと。彼が、この少女にかつてとても馬鹿にされた様な経緯が万一あって、彼が大人気もなくそれにムキになって力でねじ伏せた、ということがあったとしても、所詮子どもの態度に心底腹を立てるという行動は余りにも大人げない。その大人げのなさ加減は一体なんなんだろうかとうろたえる。
 まして、そんなことの一欠片もなくて、ただ通りですれ違った少女にあれだけの傷を負わせたのであったとしたら、そんな行動を起こすことの背景になにか存在しなくては話の筋道が立たない。
 生まれながらにして感情の表現に過剰なところがでてしまうという人も稀にいることは確かであるし、それがそうでもないときには非常に高度な思考過程をとる人であり知識を持っている人なのに、そうなるととんでもない、という人もいるし、成長の過程でそれまで嫌というほどの仕打ちを受けて過剰にそうした感情が高まってしまうことになる人だっている。そうした人たちを保護、日常的支援を提供するという活動が本当は必要なのかも知れない。しかし、当の本人をどの様に説得して保護下に入って貰うことができるのかという問題もある。もちろん予算の出所、支援に携わる人という人的資源の問題もある。どちらの視点からこうした必要性を語るのかという問題もある。
 こうした事件が起きたときに、警察、マスコミ、行政がその後どの様にフォローをするかという要素によって様子が違ってくるだろうことは想像がつく。