ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

見直しますなぁ

 今の若い人たちはどこまで真剣なんだろうか、選挙の投票率を見て見ろ、なんちゅうことなんだとかねがね思っていたんだけれど、震災以降いろいろなことが変わってきているように思う。
 高円寺での反原発デモにしても、主催者発表で1万5千人というから、日頃からの主催者発表がやたら大げさだとしても1万人近い人たちがあれに参加したというのはちょっと近年聴いたことがない人数だよね。
 今朝の文化放送の話を聴いていると、献血に奉仕した人たちの人数がどっと増えたという話でもある。大学に顔を出していた頃、毎年の学校祭で献血車が来て良くみんなが献血していくのを見て、捨てたモンじゃないねぇとは思っていたけれど、それでも有楽町の交通会館の前に来るとかならず「献血にご協力くださぁ〜い」と叫んでいる人をみんな素通りで、冷たい反応だなぁと思っていた。だけれど、多分彼等は黙ったままで上に上がって行っているんだろう。
 震災被災地へのボランティアは、次から次に人がやってきているらしい。それも自分の道具を担いで、覚悟してやってきているらしい。
 その意識は素晴らしいじゃないか。
 これから先、日本という国はどんどん高齢化が進み、労働人口はどんどん減少する。つまり、市場としてはどんどん縮小していく。ひょっとしたら国家として成り立たなくなるかも知れない。どこかの国に庇護を求めるのか、あるいは国際的な機関に援助を求めていくのだろうか。
 この先目端の利いた、どこを拠点にしてもかまやしない企業はどんどん外に出て行くだろう。労働人口が極端に払底するし、市場は小さくなるのだから。一方、自分達のバックグラウンドを大事にする、あるいは民族性、文化圏を大事にする企業は工夫に工夫を重ねて残るだろう。そういう企業があると仮定してだけれど。
 しかし、大きな企業であればあるほどそんなことはどうでも良いと思っているから、いなくなるだろう。ということはこの国に存在する意義がある業種というのは労働力集約産業ではあり得ない。
 高齢者はこれまで積み立ててきたと思っていた自分達の資産が知らないうちに役人によって使い果たされていたことを防ぐことができなかったので、いくら後悔し、役人を呪ってもどうにもならない。しょうがないけれど、そうかといってそのまま野垂れ死ぬことができない。こうなったら、自らの不明を恥じて自分で自分の口をどうにか賄わなくてはならない。
 じゃ、どうするか。「払ったんだから貰って当たり前だろ!」ではこの国が成り立たないのは眼に見えている。資産を必要以上に抱え込んでいる人からは、若かろうと年寄りだろうと、どんどん拠出して貰うしかないだろう。しかし、取り上げるだけじゃ、儲ける人はみんな武富士や某元大臣のように海外に住居を移して行ってしまうだろう。だから、社会保障制度を充実して、出したものがどう使われているのかを見えるようにして行かなくてはならない。
 そんなことが今のシステムで可能になるのかといったらそれは当然無理だろう。なんでかといったら、今のシステムは一部の権力を握った層が好き勝手に動かせる目くらましの中にあるからだ。
 じゃ、その目くらましをどうやったら払拭できるのか。それはこれまでの霞ヶ関体制、これまでの選挙態勢、これまでの国会システムを全部ぶち壊してやり直すしかない。
 それは民主党自民党から政権を奪取してみたけれど、結局はそれまでのやり方と寸分違わぬやり方にしかならなかったことから見ても自明だろう。
 じゃ、どうしたらこれをやり直すことができるのか。本気になってやり直そうとする目標を持っている人たちと組むしかない。そのために立ち上がらなくてはならないのは、やっぱり若者が中心になるしかない。そして、資産を持つ高齢者とも真正面から議論をするしかない。
 それは「お前達はこのシステムで得をしたのであって、許せん!」と言い放つのではなくて、「もう国の根幹が崩れている」と説明していくしかない。
 これを突き詰めて考えていくと結局は北欧型の、ある種社会主義といっても良いような体制かも知れない。私有財産というものを考え直してみないことには大きな解決策は難しいのではないだろうか。
 霞ヶ関の今の体制を根底から覆して、隠し続ける国民の財産を徹底的に国民の手に取り返し、「俺たちの財布に手を突っ込むんじゃない!」と三行半を突きつけることから始めないとどんどん底なし沼に足を取られる。
 その第一歩として、原発利権に群がる既存体制と美味しい汁を吸い続ける輩を明確にして行かなくてはならない。
 気がつかないうちにこんなに力を見せてきている若者達に、もう一歩踏み込んで気がついて貰いたい。もうここまで来たんだから、あと一歩だよ。