ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

突然の手紙

 帰宅して郵便物の整理と2000枚に及ぶなんだかわからん写真の整理に取り組む。郵便物というものはもう殆どDMの類しかやってこないからどうでも良いのだけれど、その中に日頃見慣れない雰囲気の封筒を発見。なんだろうと手にしてみると、ホッチキスでぱっちんと停めてあるだけの茶封筒なんだけれど、一度止めて解きまた止めた跡がある。そんな封の仕方にもかかわらず「緘」の判子が押してあるというなんだかわからん状況で逡巡する。そのうえ封筒の表にも、裏にも俳句が5句も書いてあり、メモも書いてある上に私宛の住所も間違えているという御丁寧な無法振りで、益々わけわからん。
 名前には見覚えがあって彼は高校三年生の時の同級生である。卒業以来、もう既に半世紀以上全く逢ったこともないし、便りのやりとりだってしたことがないし、その消息だって全く知らなかった。私が音頭をとって10数年前にクラス会をやったことがあったから、その当時の仲間から私の住所を知ったのだろうと想像ができるけれど、この突然の便りの中身ははなはだ唐突だ。封筒の中を見ると自分がこれまでに手にした様々な輝かしいタイトルを羅列した名刺のようなもの、いつ書いたのかわからないが外国へ出掛けた時の挨拶状、自分の父、祖父、曾祖父がどんな人だったかを記したものなんである。
 彼は確かに高校在学中から他の連中と与することなく、自分でどこへともなく突っ走っていたという印象で、文系受験組のクラスに在籍していながら理系を目指すという独立独歩型で、私達はこれ幸いと数-IIIの授業では鉄道研究会の顧問だった女性教師と彼にすべての時間を任せて、こっちは自分の受験科目の自習に専念したものだった。だから、私達の時代は全員が数-IIIまで履修したことになっているのだけれど、実際にはなぁ〜んもわからなかった。だから、大学に進学してから、一般教養で必修の数学には往生したものだ。
 それにしても突然彼はなにゆえに私宛にこのような封書を送りつけてきたのか、はっきりいって面食らっておるのだ。