ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今週のお題「父との思い出」

  • 正月にはたくさんの人が家に来て、真っ赤な顔をして酔っぱらって大声でわぁわぁいっていたのがうるさかった。
  • 土曜日になると職場の人たちが来て徹マンをやっていた。
  • このおかずじゃ飯が食えない、卵を焼いて呉れろとお袋にいったら、じゃ、食わなくて良いと、裸足のまま庭にだされた。
  • 夏になると水虫がひどいといって箱根の硫黄の温泉に行った。そこの旅館に私より、数年幼い男の子がいたのだけれど、彼が家の中で三輪車に乗っているのが羨ましかった。
  • 犬を散歩に行くのに、綱を腰に回し、歩きながら小学生の私とキャッチボールをした。お互いがお互いのことを才能がないなぁとわかっていた。
  • 日曜日に親父が仕事に行かない時は良く映画を見に行った。東映の映画では大友柳太朗の台詞が聞きにくくてあんまり好きじゃなかった。そこへ行くと市川歌右衛門の台詞ははっきりしていた。錦之助の舌ベロが余ったような台詞も好きじゃなかった。大川橋蔵は格好良かった。松竹は伴淳とアチャコの「二等兵物語」だったし、東宝は森繁、フランキー、三木のり平の「社長漫遊記」だった。異色なのは「真昼の暗黒」だったか。親父は八海事件に大いに興味を持っていたらしくて書棚には正木ひろしの著作があったので私も読んだ。
  • 小学校5年の時にお袋に叱られて「何お!」と思ったら顔に出たらしい。お袋が「やれるもんならやってごらん!」とえらそうにいったので、ドンと突いたら、ぽぉ〜んと親父が出てきて横っ面をパキ〜ンと叩かれた。ほっぺたに手形がついた。
  • 私が中学に入学したときに英語の教科書を持って帰ってきたら、開けて「お〜っ!イッツァ、シェル!」と発音した。
  • 高校2年生で数学をあきらめると宣言したときの表情。
  • 朝鮮戦争ベトナム戦争真っ盛りの時期、戦争特需で親父の仕事は忙しかった。本気でそう思っていたのか、物事の成り行きでそういっていたのか知らないけれど、ベトナム戦争論争になって以来、口をききたくないと思っていたことがある。
  • 英語ばかりやっているのはどうか、とイチャモんを付けてきたときの表情。
  • 大学生になってアルバイトをしてドラムを買うと宣言したときに「おまえはいつから不良になった!」と怒鳴った。
  • 「結婚したい」と手紙を書いたら、三回読まないと理解できない細かくてつながった文字でびっしりと書かれた便箋三枚の返事を貰った。その中に「俺とおまえは随分断絶だった」とまるで大宅壮一が使うような言葉を使って書いてあった。結局、25歳になるまで待てと書いてあって、私はその誕生日の2ヶ月後に結婚式をした。
  • ひとりでいるからとおふくろが「いってやってね」という連絡を貰ったので、連れ合いとふたりでいった。炬燵に足を突っ込んでごろんと寝ていたら、「ごろごろしているんじゃねぇ!」と蹴ったから、ふざけるなとすぐさま帰ってきた。
  • お袋が出かけていて一人でいるから様子を見に行こうと、うちの息子と弁当を持って行ったら、息子のハンバーグ弁当のハンバーグを少しくれとまだ幼稚園の自分の孫にいう。息子が「ウン」とあげると、それを自分が飼っていたぞうきんのような犬にぽろっとやった。私は怒った。
  • 姉が20数回見合いをしても「ウン」といわないので「おまえは何を考えているんだ!と怒った。怒ってもしょうがないだろう、と意見した。
  • 半年の砂漠での仕事中に手紙が来た。そこには「俺の北支の三年よりはまだましだろう」と書いてあった。
  • 現場で事故が起きた時に記者会見で「すべての責任は私にある」といったのは知っていたけれど、どんな責任を取ったのかは聞いていない。後年、自分が引退後の現場で起きた事故で、責任者が記者会見の席に出ていなかったことを厳しく指摘していた。
  • 晩年旅行をしては、つたない写真をフエルアルバムに貼って、書架に並べていた。家を壊すときにそれを処分した。なぜならそれは彼自身の想い出でしかなかったからだ。
  • 「あなたのこれまでの実績に鑑み、○○万円の手数料を払えば、博士号をだす」という学位詐欺のDMを得意そうに見せたので、そんなのは詐欺だ、といったら、とてもガッカリしていた。
  • 70歳を過ぎてから急に何を考えたか信心深くなり、近所の神社に犬の散歩で行くと本殿の前で長い時間頭をたれていた。あの人らしくない神妙な様子にただならぬ雰囲気にたじろいだ。やたらと橿原神宮に寄進をしていたらしい。何か人にいえない思いをもっていたらしい。
  • バブルの時に小金を稼いだからやる、といわれたけれど、そんなお金で恩に着せられちゃかなわんと「俺は困ってないから、困ったらもらいに来る」といったら、寂しそうだった。貰っておけば良かった。親父が死んでから大きく後悔した。困っているといって良い時期になったというのに。

 しかし、これだけしか、想い出がないのかなぁ・・・・。