ほぼ足りてまだ欲 その先

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新春花形歌舞伎

 浅草公会堂の若手の歌舞伎の切符を戴いた。歌舞伎というものを一階で最後に見たのは一体いつのことだったかもう思い出せない。多分人から貰ったに違いない。うちがそんな高い席を買えるわけがない。
 今回はいつものように三階の後ろから二列目だったのだけれど、人から貰ったものだ。正しくいうと新聞やさんに戴いた。ここの新聞やさんは毎月集金に来ると置いていくチラシの中に応募券が入っていて、それに書いて応募すると観劇チケットが当たったりする。それに当たったのである。今年の運はもう使い果たした。そもそもこの浅草公会堂の正月歌舞伎は三階の席数が少ないのか、すぐに売り切れてしまう。
 二部(夜の部)は15時からで18時には終わってしまう。早い。しかもそのうち10分+30分は休憩だから実質2時間ちょっとしかやってない。
 最初は毛谷村で、「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげん ちかいのすけだち)」の九段目で、そこんところだけをやってみせるだけだから一時間もかからずに終わる。中村壱太郎のお園がよい。というのは友人のお嬢ちゃんにそっくりだからだ。愛之助君の声は太さがない。押しも押されもせぬ役者となりにけりだけれど、えっ?誰が今いってんだ?って感じがする。そんなことをいっちゃったら海老様の台詞に言及するってことになっちまうじゃないか。
 それにしても歌舞伎はこうして全編やったらとんでもなく長くて、込み入っていて、前の方を思い出せないと、「あれ?どうしてこうなっちゃってたんだっけ?」とウロウロするということになる。ましてやここの段だけ、これぽっきりの一時間なんだから何が何だかわからないうちに筋の展開なんてどうでも良いやってことになりそうだよ。
 そこへいくとオペラなんぞはそうはいかない。今年生誕二百年のワーグナーなんぞは「ニーベルングの指環」は全部で4編に分かれているものを連夜にわたって上演しちゃうんである。歌舞伎だって昔はやったんじゃないんだろうか。
 休憩のあと海老蔵が口上てぇやつをやった挙げ句に、「吉例により、ひとつ睨んでお目に」掛けちゃうのである。成田屋に睨まれたら一冬風邪をひかないだなんて、インフルエンザ・ワクチンみてぇなことをいう。そういえば白血病団十郎が「ひとつ睨んでお目に掛けます!」といってにらみをやったのをテレビで見て、真似をしていたことがある。
 最後はなんと「勧進帳」。残念ながらここからでは飛び六方は全く見えない。しかし、歌舞伎のお客は暖かいというか、日本人はどこでも優しいというか、人が良いというか、海老蔵があんな事件を起こしても、アベシンゾーという男があんな辞め方をしても帰ってきたら、拍手をして迎える。ブーイングなんてしないのだ。面白くないと思っている人間はそこに来ない。
 アベシンゾーの金融緩和策をどう思うかという質問をNHKがして、その反応は「大いに評価する」が17%で「ある程度評価する」が52%だという。お前ら、その中身はなんだかわかってんのか!と怒鳴りたい気持ちだ。なんちゅういい加減な反応で、尚かついい加減な報道だ。
 あ、歌舞伎の話だった。